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ここは京都。
低い山々に囲まれて碁盤の目に平野が広がる、穏やかな古き良き都となる由緒ある名所。
物語の始まりは市内の一角の平安神宮に近い道路沿いに面した所にある熊野神社。
明朝四時。まだ薄暗い空の下、何やらそこでは滅多にない珍事が起きようとしていた。
宮司の八代は本殿にある供え物を飾るため中に入っていき、ある事に気がついて唖然としていた。
「ない。ないぞ。……何故だっ?!」
祀ってあるはずのある物が無くなっている事に、かなりの焦燥が彼の中でせわしく巡っていた。社務所に向かい、授与品の用意をしている僕に突進してくるかのような形相で近づいてきた。
「い、今本殿に供え物を置いてきたんだが……アレが無くなっているんだ」
「アレ?あれとは?」
「御神体だ。中をくまなく探したんだ見つからないんだよ」
「御神体ですか?中に入れるのは八代さんしかできませんよね?」
「あぁ。いつも通り施錠もしてあったんだが、御神体だけが無いんだよ。……俺、何か悪い事でもしたかなぁ……」
「思い当たる事でも?」
「無いわ。ここに就いてからこんな事が起きるなんて…とりあえず時田さんも探してくれないか?」
「僕は禰宜ですが、本来は入れませんよね。良いんですか?」
「今回は特別だ。とにかく急いで確認してきてくれ」
八代に言われたとおり本殿の扉を開けて中に入ってみると、確かに供え物しか置いていなかった。
御神体の姿は何度も言うように八代しか分からない決まりになっている。
僕も懐中電灯を持ちながら辺りを歩いて探してみた。境内の隅から隅まで探してみたが、何も動くどころか姿さえない。
八代のところに戻り見つからなかった事を告げると項うな垂れていた。
このままではいけないと思い、和歌山にある総本宮大社に連絡をした。すると、あちらの宮司も本殿から御神体が無くなっている事を話し、国内に分布する神社から問い合わせの電話が鳴り止まないと告げていた。
一体何が起きたのか分からない。
九時が過ぎたところで境内に参拝者が訪れて、僕らは何事もなかったかのように冷静な振る舞いを見せて業務にあたった。
しばらくして参道を箒ではいていると、一羽のハシブトガラスがやってきた。
彼は、僕ら境内で働いている人間だけに話せるカラスで、名前はみっちゃんと呼んでいる。
「おい時田。なんか浮かない顔だな。」
「ああ、みっちゃん。聞いてよ、今朝八代さんが神殿に行ったら御神体が無くなっていたんだよ。何か知ってる?」
「そうか、ここの御神体さまもか」
「も?"も"ってなんだい?」
「どうやら京都だけじゃないみたいだな」
「何があったの?」
「全国の神社やお寺さんの御神体さんや御本尊さんが一斉にいなくなったみたいなんだよ」
「は?……っていうかもうすぐで正月になるんだよ?初詣に神様達がいないなんて……どうなっているんだ?」
「風の噂で聞いたんだが、どうやら初詣の参拝客に腹立たしく思っているらしくて、今回こそはってストライキしたみたいなんだ」
「いやいや、みっちゃん。神様がストライキでもしたら人間はどうなる?漁業や農家さん、商売だってやってる人達が客足が止まると生活が危ないじゃないか。」
「なんせ私達には休みが一ミリもない。だから人間の思い通りにはさせまいっ……て怒り心頭らしいぜ」
神様達の暴動に近いストライキ。
遥かに想像しにくいが、みっちゃんの噂話は本当のようだ。
社務所に訪れていた参拝客も急に体がだるくなり、身震いが止まらないと言う人もいた。
また僕らの知らぬ間に、各地の神社やお寺の本殿に近寄ると魂が抜けたかのような感覚に襲われ、次々と参拝者がその場所から逃げるように離れていってしまっているという。
場所は変わって島根の出雲大社の神楽殿。
本来なら毎年十月に集まる神無月に、季節外れの時期に全国から数えきれんばかりの御神体や御本尊達がぎゅうぎゅうになりながら身を寄せ合っていた。
その様子に呆れながらも見ていた大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)が彼らの元にやってきた。
「全くあなた達は……この時期にこぞって集まるなど、もってのほかですぞ」
「大国主大神どの。私どもは鎮座してから千年以上地元で人間や生き物たちを見てきましたが……もう我慢がなりません」
「ん?あなたは……東寺の御本尊さんではないですか。神道に仏教が被るなんてあり得ないことですぞ?!いかがした?」
「はい、金堂の薬師如来でございます。私だけではないです。後ろをご覧ください。他のお寺さんからもこんなにもたくさんの御本尊さんがおられます」
「あなたは岩手の奥州市にある正法寺の御本尊さんですね?」
「おっしゃる通り。如意輪観世音菩薩(にょいりんかんのんぼさつ)でごさいます。こちらの神楽殿は暖かくて居心地が良いですな」
「何を呑気に……。ああもうこれは、千万体以上は居るに違いないな。天井にもしがみついている始末だし」
「あれま、あなた様は……伊勢の神宮の御正殿におられる八咫鏡(やたのかがみ)どのではないか!」
「お恥ずかしい限りですが……私もひっそりとここに参りました」
「大国様、ちょいと宜しいでしょうか?」
「大国様って……まぁ宜しい。浅草寺の聖観世音菩薩どの。ご質問は?」
「人間のほとんどが知らない事実がございます」
「何をです?」
「本来三が日は我々は休息を取るようにと創造主やお釈迦様からの言い伝えがありますよね」
「そう、それなんだよ。だから参拝するなら大晦日近くや三が日が過ぎてからきて欲しいんですよ」
「ただ、人間も労働というものがありますしな。いっその事、二十四節気や七十二候の数を減らして季節の変わり目をずらしてみるとでもしましょうかね?」
「まぁ……それも、人間が決めた事ですし、我々が変動させる力を出してしまうには、さすがに天界の主もお怒りになられる……」
御神体や御本尊達が口論を繰り広げている合間、京都を初め全国各地の上空には暗雲のようなものが怪しく影を下ろしながら広がってきていた。
各神社に留まる鳥達も一斉に山間に行ってしまった頃、その様子を見てみっちゃんが僕らの元に知らせに来た。
拝殿に祀られる本坪鈴の手入れが終わり、ひと息つこうとした時に彼が僕の足元に着地した。
「時田、八代を呼んでくれ」
「何か解決法は見つかった?」
「一か八かでやるしかない。とりあえず呼んでくれ」
「……ああ、みっちゃん。もうどうしたらいいんだ?他の神社の宮司さんからも連絡が来て、初詣の支度が手がつかなくて困っているって言うんだ」
「俺は仲間伝いでカラスを集める。八代は各地の神社やお寺さんの宮司や総住職達に皆で祀られている動物、つまり精霊を呼び起こす祈祷を行なって欲しいんだ」
「精霊か……通常の祝詞とは異なって色々調べないといけないな」
「時間がないんだ。できる限り急いでくれ」
「時田さん。祝詞の資料が神殿に保管してある。取りに行ってくれないか?」
「わかりました」
ちょうど夕刻の時間になっていた。
参道の扉を閉めて閉門した後、八代から告げられた通り資料を持ち運び、巫女らと本殿の前に祭祀用の供え物などを並べていった。
「どうか、上手くいってくれ……」
八代が祝詞をあげ始めると、みっちゃんはカラスの仲間を呼び集めるように鳴き出した。
全国の宮司や総住職らが次々と異例の祭祀儀礼やお経を唱え始めると、その声に反応するかのように、出雲大社の神楽殿に集まっている御神体や御本尊達が身の硬直を感じて唸り出していた。
「だ、大国様!これはいかなる事が起こっているんですか?!」
「あなた達を引き戻すために祝詞やお経を唱えているのです。この上空にも精霊の遠吠えも寄せ合ってきている。さぁ、もう観念しなさい。いつまでもここに留まっていては、あなた達の身が危なくなるどころか、全ての生き物の命さえ危機を及ぼしてしまいます」
「しかし、人間たちも我々の願いに相反する事をしている。……うぅ、もの凄い引力で本殿に返そうとしているな」
「当たり前です。こたびの件についてはあなた達のご失態にあたる。よって次の十月、神無月の時期に意見交換の場を設ける。それまでの間は、通常通り正殿並びに神殿や本堂にその身を置き参拝する者達を見守ってください。さぁお帰りください!」
大国主大神が両手を天にかざすと眩い光が放射され、御神体や御本尊達はその光とともに、元の場所に戻っていった。
やがて僕らの神社にも強風が吹き荒れてその風音に気がついて目を開けて辺りを見ると、神殿に光が立ち込めて御神体が中に入っていった。
「八代さん、見てください。空が……あぁ、澄み渡ってきています」
「どうやら御神体が戻ったようだな。中を確認してくる」
僕や巫女らがその場から離れている間、八代は神殿に入り御神体が戻ったのをしかりと目で確かめた。彼の声を聞いて一同で安堵した。
数日後の大晦日の夜、粉雪が舞うなか、各地の神社やお寺に参拝客が足を運び、除夜の鐘が響き渡っていった。
日付けが変わり新しい年を迎える事ができた。東京の浅草寺には仲見世通りに人々が列をなして本殿の周りは賑わいに華が咲いていた。
やがて四国や伊勢神宮の東の空から曙光が差し込み、晴天の下元旦を迎えた。
全国各地の参拝者達は新年の始まりにそれぞれの願いを込めて合掌していった。初詣の三が日も神殿前には人々が集い、場所によっては露店が並び、参拝者に温かい食べ物や飲み物を振る舞っていた。
肝心の御神体や御本尊達はやれやれと思いつつも恒例の業務に携わっていった。
その二日後、参道を開門して社務所へ向かおうとした時、甲高く鳴くみっちゃんの姿が目に入った。
「おはようさん。時田、今年も無事に新年を迎える事ができて良かったな」
「みっちゃんも色々とありがとう。昨年の騒動が収まらなかったら、僕らもどうなっていたか……」
「なぁお前、あの時何か気づかなかったか?」
「何?」
「霊感持っているだろ?何で事前に八代に知らせなかったのかなってさ?」
「さすがに今回だけは気づかなかったよ。ただ精霊が何かを呼びかけている声だけは感じたんだ」
「多少は分かっていたって事か。まぁあれだけ神様が動くのって滅多にない事だからな」
「神様もバカンスでもくれってか。まぁ気持ちはわからなくもないけどね」
「何かしら皆んな訳ありなんだな」
「みっちゃんこそ……八咫烏の子孫だって皆んなに伝えていいの?」
「なんだよ。今それ言うか?俺たちだけの話で留めておいてくれよ」
「分かった、言わないよ。……ねぇ見て、虹が出てる」
南東の方角を見上げてみると、雲と重なった虹が出ていた。近くの山間の頂に精霊たちも戯れながらその虹を眺めていた。
また街はいつものように賑わいを見せて、平穏な時間が流れていった。
《了》
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