27人が本棚に入れています
本棚に追加
第8章 聴きこみ
「あ、ごめんなさい。」
鈴木は、大きくよろけた拍子に、
隣の席に座っていたサラリーマンに、
注いだばかりのビールを思いっきりぶりまけてしまった。
隣のサラリーマンはかなり気分よく酔っ払っていたが、さすがにその事態にはびっくりしたようで、大きく反対側にはねのけた。
「すみません。」
鈴木はバッグからハンカチを取り出して、
急いで彼の濡れた衣服を拭こうとしたが、
とても拭き切れるものではなかった。
鈴木があわてていると、鈴木の正面に座っていた影山が大きな声で、店員にタオルを持って来るように指示した。
数枚のタオルで、そのサラリーマンの衣服と床にまかれたビールが拭きとられると、飲み直しと称して、影山がそのサラリーマンを自分たちのテーブルへ招いた。
サラリーマンは週の二日ほど、仕事の帰りにこの飲み屋に寄っていた。それほど酒好きということではないようだったが、酔うことは好きなようで、いつも気分良くその飲み屋を後にしていた。
影山はこのサラリーマンを1週間尾行してこの事実を知った。そして翌週、補助者の鈴木を連れて、今日に臨んだのであった。
「いいかい。君は彼にビールをぶっかけるんだ。その先は僕がやる。」
「はい。わかりました。」
彼は水曜日と金曜日には必ずその飲み屋に寄る。
今日はその水曜日であった。水曜日と金曜日は、その市役所のノー残業デーだった。
「本当にすみませんでした。」
まだ鈴木が謝っている。でも、隣に座っていた、あのサラリーマンは、鈴木に介抱されて、
まんざらでもないという表情をしている。
これはかなりしめた展開になりそうだと経験上、影山はほくそ笑んだ。
このサラリーマン、あの住民票の確認の担当をしている職員で、名前は川崎大輝。
さっきからニヤニヤしながら鈴木を細かく値踏みしている。こいつは酒だけではなく、女好きだということもわかって、今日の日に鈴木を同行させたのは、更に都合が良かったと、普段の自分の運の良さを再確認した。
「役所もたいへんなんだよ。鈴木ちゃん・・。」
僕が特別なテクニックを使うまでもなく、川崎は鈴木に完全に落ちていた。
「わかるよ。川崎さん。色々とあるんでしょ?」
「うん。色々とあるんだよ。」
「例えばどんなことがあるの?」
「例えば?」
「うん。例えば、窓口で文句とか言われるんでしょ?」
「え・・ああ・・そうだよ。市民ってわがままでさ。
何かと言えば税金泥棒だっていいやがるし。」
「税金泥棒? ひどいですね。そんなこと言われるんですか?」
「え・・ああ・・そんなこと、しょっちゅうだよ。」
「川崎さん、同情しますよ。」
「えー、鈴木ちゃん、わかってくれるの? うれしいなあ。」
「わかりますよ。わかりますけど、もっと詳しく話してくれませんか?」
「聞きたい? 鈴木ちゃん、聞きたい?」
「是非聞かせて下さい!」
「よし。じゃあまず乾杯!」
「乾杯!」
僕は彼らの正面で、じっとその会話を聴いていた。
その川崎の話だとあの事件はこういうことだったようだ・・・。
最初のコメントを投稿しよう!