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檻の扉が開いていても自分から出ないのなら、そいつの腕を掴んで外に出せばいい。
『恋人が出来たんだ。だから出ていってくれ』
ある日突然そう言って、俺はそいつを家から追い出した。そいつは何を言われたのか分からないかのように呆然としたものの、俺の言う通り荷物をまとめて出ていった。反論などしない。そいつはいつも俺の言うことに逆らったことなどないのだ。だから今回も、何も言わず言われたまま出て行った。
ここから出され、そいつはどこに行くのだろう。
友人もいない。
頼れる知り合いもいない。
そうさせたのは俺自身だ。
俺以外の知り合いを断ち切らせた。そして新しい付き合いもさせなかった。だからそいつはきっと、今夜泊まるところもないだろう。だけど馬鹿では無い。一夜の宿くらい何とかするだろう。そして荷物を開ければ気づくはずだ。俺が入れた封筒のことに。
封筒の中にはある程度のまとまった金が入っている。次の家を決める間のホテル代にはなるだろう。
罪滅ぼしのつもりは無い。
だけど俺にだって良心はある。
突然追い出すのだから、そのフォローくらいはするさ。だけど、見ようによっては手切れ金のように思うかもしれない。でもそれでいい。これだけ酷いことをしてきたのだ。これ以上落ちようがない。むしろそいつの中で、俺は最低の男だと思ってもらった方がいい。そうしたらもう、俺のような酷い人間に捕まったりはしないだろうから。
もう俺のようなやつに捕まるな。
お前は自由に生きろ。
そう思いながら、俺はそいつが出ていったドアを閉めた。
一人残った部屋はやけに寒々していた。
恋人などいない。もちろん嘘だ。だからここには俺しかいない。
元々一人で住んでいたはずのこの部屋も、あいつがいた3年で随分変わった。
部屋の至る所に残るそいつの痕跡。あいつは律儀に、自分が持ってきた物しか今回持っていかなかった。
二人で買った食器。
俺が買った服やバッグ。
俺が少しでも金を出したものは全て置いていった。俺の事を忘れたいと言うよりは、自分で買ったもの以外をもらうのは悪いと思ったのだろう。
あいつらしい。
けれど残された方は堪らない。
俺は上着を片手に家を出た。
駅へと向かう公園の脇の道。ふと見るとあいつがベンチに座っている。大方行くところがなくて途方に暮れているのだろう。それは分かるが、俺はそのまま駅へと向かった。用がある訳では無い。ただあの部屋にいたくなかっただけだ。
適当に時間を潰し、なんとなく入ったバーで酒を煽る。どれくらい飲んだのか。閉店の声に腰を上げ、ふらつく足で家路についた。そして通り掛かった公園の脇の道。来る時見たあいつが座っていたベンチを見る。誰もいない。どうやらどこかに移動したらしい。そういえばここはハッテン場の公園だ。暗くなる前に移動しただろうか。
そんなことを思いながら俺は家に帰った。
それから俺は、誰もいない家に帰るのが嫌になった。仕事が終われば駅前のバーで酒を飲み、閉店と共に家に帰る。そして倒れるように眠っては朝になると会社に行った。
空虚な日々。
すべてがどうでもいい。
そんなある時、すっかり馴染みになったバーのマスターに聞かれた。なぜいつもここで時間を潰すのか。その時には既にかなり飲んでいた。だから口が滑ったのだろう。職業柄マスターの口が堅いのも知っていたからか。俺はこれまでの話をした。誰にも言ったことの無い、あいつとの3年間。その話を静かに聞いていたマスターは最後に一言。
『よっぽど好きだったんだね』
その言葉に、俺の酔いがすっと覚める。
好き?
俺が?
あいつを?
笑いが込み上げてきた。
好きって、恋してるってことか?
だけど思う。
あいつの全てを汚せなかった自分。
なぜそんなにあいつを汚したかったのか。
ああ、あいつの全てを俺で染めたかったのか。
だけどきっと、この思いは『好き』じゃない。
もっと重く、もっとドロドロとしたものだ。だけどその思いの名を言いたくない。そんな軽いものじゃない。
俺はマスターの言葉を聞かないことにした。
だから何も気づかない。
知らない。
このままでいい。
そうすれはあいつは、自由でいられる。
だからこのまま・・・。
了
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