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Dessin.4
年末年始の間、寮が閉鎖されるから、帰省の前に会いたい、と翼くんからRINEが届いた。ドアを開けると、大きめのリュックを背負った彼がいて、今夜は泊めて欲しいと言われた。仕事納めの翌日、冬休みの初日に重なったのは偶然なのだろうか。
翼くんが外出を嫌ったので、珍しくデリバリーのピザなんかで夕食を済ませた。彼は缶コーラを片手に、しばらく学校のことをポツポツ話していたものの、やがて飲み干した空き缶をコトンとテーブルに置いた。そして、思い詰めたように古い話――彼の父・柳井昴に聞かされてきた、僕の叔父との出会いの物語を話し始めた。
「妙な噂が流れ始めたのは、心星賞の授賞式から半年後のことでした」
並んで座るソファの端で、彼はクッションを抱えると、固い表情で口ごもる。
「父と箕尾先生が……その、ふしだらな関係にあると……」
「その噂は知っている。流していたのは、僕の伯母だ。義弟の名声を妬んで……馬鹿なことをしたものだ」
彼女が流した噂が元で、叔父は教職を退いた。柳井昴も、親が強引に他県に転校させたという。それから数年後、叔父は焼身自殺した。直前に、伯母から柳井昴が結婚したことを聞かされていたようだが、それが引き金になったかどうかは推測の域を出ない。
「父が……箕尾先生を愛していたのは、間違いありません。噂通りのことがあったのか、それは訊けませんでしたが」
20代半ばの教師と15歳の中学生。同じ教師として、身体の関係はなかったと信じたいが、叔父が昴に特別な感情を抱いていたことは確かだろう。なぜなら、僕の従兄は見ているんだ。退職後に暮らしていた叔父のアトリエで、大切に保管されていた柳井昴の複数の裸体画を。
「柳井家の跡取りだった父は、分家の女性と強引に結婚させられました。後継ぎさえ生まれたら離婚してもいい、好きに生きていいという約束だったそうです」
だけど――翼くんが生まれたとき、叔父は既にこの世にはいなかった。絶望した昴は、何度も自分の身体を燃やそうとしたらしい。
「父は間違えたんです。本当に愛していたのなら、一族なんか捨てて、箕尾先生に会いに行かなくちゃならなかったのに」
僕の知る叔父は穏やかな人だった。心星賞を授賞したあとも、一介の教師として生徒と向き合い教壇に立ち続けた。才能ある画人なのに決して驕ることのない叔父が、僕は誇らしかった。中学生になって、母校に寄贈されていた柳井昴の肖像画と対峙して、僕は心を殴られた。画面越しに迸る叔父の想いが、そこにあった。
「死の床で父は『今、おちていきます、先生』って言ったんです。多分、地の底に……箕尾先生を追いかけて行ったんだ……」
翼くんの声が掠れている。苦しくて、僕も視界が滲む。
「俺は、間違えたくない。この数ヶ月、圭人さんと過ごす時間は夢みたいでした。ずっとドキドキして、もっと知りたい、近づきたいって想いが加速して……絵の完成が怖いんです」
思わず隣を見ると、翼くんの真っ直ぐな瞳に捕らえられた。隠すことなく涙を溢しながら、僕の心を覗き込んでくる。
「圭人さん。あなたのアドニスに、俺はなれませんか?」
ゴクリと喉仏が上下する。僕はまだ迷い――葛藤している。
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