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主従再会
カゲツが王都城へ戻ってくる。
文書をめくる手を止め朱塗りの扉へと首を伸ばす。
何度確認してもやはり変化はない。
スユイは長いため息をつきながら、ふと視線を横へそらした。
壁際の鏡に映る自分と目が合う。
カゲツと離れてから五年という年月が過ぎた。
この五年で背丈は頭ひとつ分伸びた。もうすぐ十八の歳を迎える。外見だけではなく中身も少しは成長したと自負している。
きっと「大人になった」とほめてもらえるはず。
スユイは錫銀色の前髪の下で瞳を揺らし、右手を長袍の襟元へと運んだ。
(カゲツ、この約束も覚えてるかな)
首から下げた小さな木片に触れると木のぬくもりが肌に伝わる。
筆を手に取るが資料に朱を入れる作業は一向に進まない。
「うーん、仕事にならないや。中庭でも見ていよう」
立ち上がろうとした時、廊下のきしむ音に気がついた。 ひとつは近侍の足音。
それにもうひとつ、記憶の中で耳に馴染みのある足音が聞こえる。
「スユイ王子。カゲツ殿が帰都の礼に参られました」
(本当に帰ってきたんだ)
スユイは駆け出しそうになる体を椅子に落ち着けた。
(走って迎えに出れば、昔と変わらないと笑われる)
自分にそう言い聞かせると平坦な調子で
「どうぞ」
と、入室の許可を与えた。
観音扉が軋む音を立てて開かれる。
近侍は会釈だけ済ませるとすぐに扉を閉め立ち去った。
広々とした執務室の端と端で二人だけが向かい合う。
(カゲツだ)
はやる気持ちを抑え、遠くからカゲツを眺め続けた。
初めて出会った頃はいつも黒袴に差された刀の柄が目に映っていた。
今なら、並んで立てばカゲツの肩が目に入るくらいかな?
深い藍の短い髪、厳しさと優しさを併せ持つ瞳。そこへ五年の経験が深みを与えている。
(変わったけど、変わってない)
懐かしさと真新しさが同時に胸にこみ上げる。
先に動いたのはカゲツで、こちらへと歩みを進めた。
しかしスユイからはまだ遠い位置でぴたりとその足が止まる。
「カゲ……」
呼びかけようとしたスユイの声はぷつりと途切れた。
カゲツはスユイへ頭を下げていた。
手を伸ばしても届かないほど遠くで、笑顔を見せることすらなく。
それからカゲツは右の手首を左手で掴み軽く斜めに引く動作をした。このイレス国で臣下が王族に行う礼の作法だった。
「王子。本日を持ち王都に帰任いたしました」
スユイの表情が凍りつく。
王子。 そう呼ばれた。
カゲツは、王子ではなくスユイという名で呼んでくれる唯一の大人のはずだった。
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