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メイドさんのご主人様が、クリスマスデートに必死な理由は……
さとは屋敷のリビングで、テレビにじっと見入っていた。
テレビの中では大聖堂さながらの豪華な店の前で、ひとりの青年が立っている。
青年は腕時計を何度も見て、手に息を吐きかける。痛々しいほど赤い指先に、青年の白い息がかかる。
「さと、俺の支度は終わったぞ」
声をかけられ、さとは慌てて振りかえる。
「私も終わってます、燈次さま」
燈次は高そうなトレンチコートに身を包んでいる。手にはめた腕時計も大仰な光を放っている。
ご主人さまのしゃれた装いに、さとは顔を赤らめる。
さとはキッチンのほうへ行き、ミニスカートのメイドに声をかける。
「あとはよろしくね。私もう行くから」
ミニスカートのメイドはさとをじろりと眺め、サラダチキンを切る作業を再開する。
リビングに戻ると、燈次がテレビを観ていた。テレビではドラマの登場人物が寒空の下でまだ誰かを待っている。
燈次はすっと目を細め、さとを連れてリビングを出た。
屋敷を出ると、燈次はさとの手を握った。
さとは顔をボッと熱くする。
「と、燈次さま」
「今日は離さないからな」
燈次の言葉にさとはくらくらした。
私なんて、ただのメイドに過ぎないはずなのに……。
駅前に近づくにつれ、通りにクリスマスの飾りが増えていく。
今日はクリスマスイブ。
駅に掲げられた大きな時計は午前10時を示している。
「これじゃまるで、クリスマスデート」
さとがそう呟いたとき、燈次がさとの手を握りなおした。
手に汗かいちゃったらどうしよう。
さとはこっそりと心配した。
何となく違和感を覚えたのは、洋服屋に行ったとき。
さとは気になるスカートを見つけた。
「ちょっと試着してきますね」
さとは当たり前のように言ったが、燈次は真面目な顔で首を左右に振った。
「わざわざ着なくてもいいだろう」
「でも、私は着るとスカートのシルエットがぼわってなって、変になっちゃうことが多いので」
「そしたら返品すればいい」
「返品駄目なお店です」
「買って気にいらなければスカートはパッチワークにでも使えばいいさ」
燈次はニコニコと笑い、さとの手をぎゅっと握りなおす。
「あの、燈次さま。手を離してくださらないと、試着が」
「金なら俺が出す。だから試着室には行くな」
「えっ?」
しばしの沈黙が流れた。
結局、さとはそのスカートを買わなかった。
次に変だと思ったのは、コーヒーショップに行ったときだった。
さとはイチゴ味のフラッペを頼み、イートインスペースで飲むことにした。
横並びの席で、燈次はさとは真隣に座っている。手はテーブルの下でつないだままだ。
燈次はさとの横顔を見つめながら笑顔で言う。
「いっぱい飲めよ。冬でも水分補給は大事だからな」
「あれ、燈次さまのお飲み物は?」
「飲む気がないから注文してない」
「あ、じゃあ、お冷を取ってきますね」
燈次はニッコリしたまま首を否定の方向に振る。
「水もいらない」
「喉乾いてしまいますよ」
「水分を取ったらトイレに行きたくなるだろ。俺がトイレに行っている隙に、さとがいなくなったら困るだろ?」
「何で私がいなくなるんですか?」
「いなくなるつもりか?」
燈次は笑顔を浮かべたまま、さとをじいっと見つめる。
どこか目が笑っていないような気がして、さとは困惑した。
手をしっかりと繋いだまま、ふたりは次の場所へ向かう。
「さとはフレンチを食べに行くのはいつぶりだ?」
「食べることないので分かりません」
「フランス料理は世界三大料理のひとつに数えられるもののひとつ。期待しておけよ」
燈次は歌うように言うが、どこか違和感がある。まるで無理をしているような。あるいは、何かを隠しているような雰囲気だ。
目当ての店に着き、燈次が店員に告げる。
「12時で予約している入江だ」
「本日のご予約ですか?」
「そうだが」
店員は予約表をぱらぱらとめくり、首をひねる。
「入っておりませんね」
「俺はたしかに2週間前に予約をした。その上、予約が通っているかわざわざ電話で尋ねたぞ。先週も、5日前も、昨日の晩も」
店員はレジのそばのメモを確認する。
「今朝の9時ごろ、キャンセルの電話をちょうだいしておりますね」
「電話したのは本当に俺か? 別の客の予約と間違えたんじゃないのか?」
そばにいた別の店員に確認すると、その店員はためらいがちに言った。
「わたくしがキャンセルのお電話をいただきました」
「どんな声だった?」
「お電話口なので確かなことは申し上げられませんが。少し鼻声っぽいような……わりと高い声の印象でして……」
ちょっと鼻声っぽい、は燈次がよく言われることだ。成人男性にしては声が高く、子どもに間違えられることも多い。
燈次さまが寝ぼけて電話しちゃったのかも、とさとは思った。
予約が通っていないなら、それでもいいとさとは思った。さとはフレンチにこだわりがあるわけではない。
「じゃあ燈次さま、別のお店に……」
燈次の顔を見ると、苛立ちが浮かんでいた。
「今からでも席を開けられないのか」
「予約が埋まってしまいまして」
「責任者は?」
「お呼びしますか?」
「居場所を教えてくれればいい」
「あの、キッチンの奥に」
それを聞くと、燈次はずかずかと店内に入りこんだ。もちろん、さとの手を握ったまま。
燈次は容赦なくキッチンに足を踏み入れる。キッチンでは店員たちが料理の仕込みに追われていたが、燈次はその間を平然と歩いていく。
「お客さま、困ります」
「困るのはこちらだ。勝手に予約をキャンセルされた」
「こちらの手違いでしたら謝らせていただきますが、申し訳ございません、今一度お客さまのほうでもご確認を」
「俺がキャンセルするわけないだろう!」
燈次は声を荒らげる。仕込みをしている店員たちがビクッと肩を震わせる。
さとはぺこぺこと頭を下げ、燈次の手を引いた。
「あの、燈次さま。迷惑になりますから、帰りましょう。私は別のお料理食べたいです」
「何故俺たちが引きさがる? 悪いのは店側だろう」
「燈次さまが寝ぼけてお電話しちゃったかもですし」
「俺はそんなことをしない」
「でも」
「俺のクリスマスを台なしにするのは俺以外の誰かだ」
「燈次さま」
「そうなんだよ、いつだって!」
燈次が叫ぶと、その拍子に繋いでいた手が汗で滑った。ふたりの手がするりと離れる。燈次は信じられないように空っぽの手を凝視する。
燈次はさとに向かって手を伸ばす。しかし力なく下ろす。
燈次は頭を深々と下げ、フランス料理屋を後にした。
ふたりは近くの公園のベンチに並んで座る。ふたりの間は、人ひとり分くらい空いている。
燈次は公園に飾られたおおきなクリスマスツリーを見ながら、ぽつりと呟く。
「あれは俺が、小学校3年生のときだった」
「……はい?」
「クラスメイトが、クリスマス会をやろうって話してたんだ」
「はい」
「俺はそいつらと仲がいいつもりだった。事実、クリスマス会について話すとき、俺も参加をしていた。ここに行こう、あれをしよう、と俺は誰よりも積極的に計画を立てていた」
「そうなのですね」
「当日、俺たちは豪華なランチを食べた。途中、俺はトイレに行った。その時間は5分にも満たなかった。でも」
「……でも?」
「俺が戻ったとき、そいつらはどこにもいなかった」
さとは目を見開き、両手で自分の口を覆った。
燈次は目を細め、自嘲気味に笑う。
「俺はそいつらと次に行く予定だったゲームセンターへ向かった。店の前で俺はずっと待っていた。でもそいつらは来なかった」
「お友だちさん、間違えちゃったんでしょうか」
「翌年も似たことが起こった。今度は最初から、別の日時を伝えられた」
「え……」
「その次の年も似たような流れだった。どの年も、俺は寒い外でひとりで待っていたよ」
「悲しかったですね」
「気持ちなんて忘れたよ。手が凍えるように冷たかった。それだけをハッキリと覚えている」
風に吹かれて枯れ葉が舞った。燈次は無表情で葉の行く先を眺めていた。
燈次はクスクスと妙な笑い声を上げる。
「誰も、俺なんかとクリスマスは過ごしたくないんだよ」
「そんな」
「本当のことを言っていいんだぞ。さとも嫌だっただろ。俺なんかに誘われて」
燈次は口角を上げる。しかし目に喜びは浮かんでいない。
さとは燈次の手を両手で掴んだ。自分の肩の高さまで持ちあげて、両手で彼の手をこする。
口元に寄せ、はあっ、と息を吐きかける。彼の手にかけた息が舞いもどり、さとの頬にかかる。その息は温かかった。
「おててが温かくなりますように」
「手が寒いと言ったのは昔の話の中だ。さっきまで店内にいたんだから、今の俺の手は別に冷たくないさ」
「でも私、そのころの燈次さまの手も温かくなってほしいんです」
さとは緩やかに微笑む。燈次は自分の手をじっと見つめる。
さとは燈次の手を大事そうに包みこむ。
「私は今日、燈次さまと過ごせて幸せです」
「さと……」
「私だけじゃないです。燈次さまと一緒にいたい人は、たくさんいますよ」
燈次は黙って下を向いた。落ち葉が彼の頬に何度かぶつかったが、彼は動かなかった。
10分ほど沈黙した後で、燈次はふと顔を上げた。視線はさとを通りすぎ、彼女の後方に向いていた。
「……ケーキ」
「ほえ?」
「急にすまない。目に入って」
振りかえるとケーキ屋があった。クリスマス特別デコレーションケーキを宣伝するのぼりが立っている。
「買ってかえりますか?」
「すでに用意したケーキもあるから、小さいやつを人数分かな」
ふたりはケーキ屋に向かってゆっくり歩きだす。
「燈次さまのおうちは毎年すごいですよね。ご家族と使用人と、みんなでクリスマスパーティーするんですから」
「お前たちメイドには苦労をかけてしまうけどな」
「今日のパーティーの準備、大丈夫かなぁ。私は燈次さまとのお出かけのために、3時間だけ抜けてきちゃいましたけど」
「バタバタさせてすまないな。帰ったら俺、何すればいい?」
「ご主人さまにお手伝いはさせられません」
「面倒事でもいいからさせてくれ」
「そういうのは新入りの秋斗がやればいいんです! ……でも秋斗、大丈夫かな。秋斗ってサボり癖あるから、初めてのパーティーの準備を放りなげてないかな」
さとはソワソワしはじめた。実はずっと屋敷の様子が心配だったのだ。一度気になりだすと、心配はとうぶん抜けそうになかった。
「何か軽く食って早く帰るか?」
燈次の冗談めかした言葉に、さとはブンブンと頭を上下させて同意した。
燈次も一緒になって準備をし、豪華なディナーが完成した。
燈次の4人の兄弟と、燈次の母、それに燈次の家で働くメイドや運転手、警備員など、みんなで一緒に料理を食べ、クリスマスをお祝いした。
片づけが終わり、さとがダイニングルームでひと休みしていると、燈次がやってきた。
「今日はありがとうな」
そう言って燈次はラッピングされた箱を渡してきた。中を開けると可愛らしい型抜きクッキーが登場した。サンタクロースやトナカイ、ツリー。そして……ハート型。
燈次はハート型のクッキーをつまみ、さとの口元に運んだ。さとがクッキーを受けとると、燈次はくすりと笑い、彼女の耳に囁いた。
「メリークリスマス」
さとは顔を真っ赤に染めた。
燈次が別のメイドに呼ばれてその場を去った後も、さとはニヤニヤしていた。
すると、横から声をかけられた。
「お昼のフランス料理、何でキャンセルになってたと思う?」
見ると、ミニスカートのメイドがいた。
「秋斗、いつからそこに?」
男の娘メイド――秋斗は意味ありげに笑う。
「おれを差しおいて燈次さまとデートとか、ズルすぎない?」
「何の話?」
秋斗はスマートフォンの画面を見せる。通話履歴が表示されている。一番上にあるのは、さとたちが行ったフランス料理屋。発信時刻は今朝の9時ごろ。
秋斗は鼻をつまんでアーアーと声を出す。少し鼻声っぽい、女子のような子どものような、高めの声が出る。
秋斗は可愛らしく首を傾げて微笑んだ。
「イブは譲ってやったけど、クリスマス当日はおれがもらうからね」
秋斗は燈次の名前を呼び、てこてこと歩いていく。燈次を見つけた秋斗は彼に腕を絡ませ、猫撫で声で話しかけている。
「ねぇ燈次さまぁ。明日はおれと遊んでくれるよねっ?」
「どうした秋斗、急に甘えて」
「今日1日がんばったご褒美ほしいの。いいよねー?」
さとはただ、目をぱちくりさせていた。
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