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第一話 踊り場の怪異
「ああ、どうしてこんな日に限って忘れ物しちゃったのかなぁ。本当にごめんね、久美ちゃん」
明日から冬休みに入るって言うのに、忘れ物するなんて、私ったら本当におっちょこちょいだなぁ。
教科書を、学校に忘れてきちゃったなんて言ったら、絶対お母さんに叱られるわ。私は同じ部活の久美ちゃんに、ついてきて貰う事にした。だって学校は真っ暗でしょ? 一人でなんで怖くて行けやしないわ。
「もう、典子ったら、本当にドジなんだから。最終のバスを逃しちやったじゃない。歩きで帰るしかないわよ」
「やだぁ、真っ暗じゃない。怖いわ。私、公衆電話から家に電話する。お父さんに迎えにきて貰いましょうよ。お父さん、お酒飲んで寝てないといいけど」
「だめなら、澤本先生に送って貰えないかしら?」
東京の方じゃ、夜も明るいんでしょうけど辰子島じゃ街灯もほとんどない。男の子がいればまだ安心だけど、いくら慣れた島って言ったって、二人じゃ怖いわ。
変質者がいたら、どうしようもないもの。
職員室で澤本先生が残っていたから、教室の鍵を返す時に万が一の時は頼もうかしら。私は教室の電気をつけて、机から教科書とノートを取り出すと、急いで鞄に入れた。そして私は、そそくさと教室から出ると鍵を閉める。
「久美ちゃん、お待たせ。帰りましょ」
「ねぇ、典子。辰子島高等学校の七不思議知ってる?」
「やだぁ。私怖いの苦手なのよ。私の知らない世界だっけ? あんな番組がやってたら怖くて、すぐにチャンネル変えちゃうもん」
久美ちゃんは、怖がりな私をすぐにからかうのよね。田舎の学校じゃあ、やってるテレビ番組も決まっているし、雑誌だって中々入ってこないから、その手の嘘くさい非科学的な与太話が話題に上がるのよね。
「あれは怖いわよね。でもここの七不思議なんて、笑っちゃう物ばかりじゃない。二宮金次郎が夜中に走るとか、音楽室のポスターの目が動くとか、トイレに三番目の花子さんが出るとか、そんなのばっかりで怖くなんてないわ」
久美ちゃんはそう言うと、指折りしながら七不思議を数える。
「あとは確か、理科室の人体模型が喋る。トイレから手が出てきて、赤い紙と青い紙どっちの紙がいいか聞いてくる。あれってどちらを選んでも、結局死んじゃうやつよね」
地味な所で言うと、誰も居ない音楽室からピアノの音がするとか?
本当に誰がこういう怖い噂を考えるのかしら。
「高校生が考えるようなお化けなんて、そんなものよ。もう、こんなお話は止めましょう。お化けなんていない! いないったら、いないの」
「典子は本当に怖がりね。もう早く教室に鍵を返して、帰りましょう?」
久美ちゃんは笑うと、私と校舎の階段を降りていく。そう言えば私、辰子島高校の学園七不思議を全部知らないのよね。
最後の一つはなにかしら。でもいいわ。七不思議って全部知ったら不幸になるって聞いた事があるもの。
私達は職員室に戻ると、職員室で一人だけ残っていた澤本先生に、鍵を返しに行った。
「もう、忘れ物をするんじゃないぞ。親御さんに迎えにきて貰うなら、職員室の電話を使いなさい。夜道を女の子二人で帰るのは危ないぞ」
「私達、先生に送って貰いたいです! 先生なら、送りオオカミになんてならないでしょ?」
澤本先生って、沢田研二みたいで本当に格好いいわぁ。でも、既婚者なのが残念よねぇ。澤本先生は優しくて二枚目だから、女子生徒の人気が高い。私はもちろんの事、久美ちゃんも、私と同じように澤本先生にぞっこんなのよね。
「お前達、なにを言ってるんだ。先生は宿直当番だから持ち場を離れられないぞ」
澤本先生は呆れたように言った。
私は家に電話をかける。
お父さんが学校まで、私達を迎えにきてくれる事になったので、正門まで向かう事にした。
私達は雑談しながら廊下を歩いていると、ふと久美ちゃんが、二階へと続く廊下の前で、急に立ち止まった。
「あれ、まだ誰か残っているのかしら」
「え? さっき澤本先生がお前達が最後だって言ってたでしょう? やだぁ、怖がらせないで、久美ちゃん」
「本当だってば! 大人の女性に見えたわ。数学の伊藤先生かも。とりあえず挨拶して帰りましょうよ」
生徒が残っていなくても、先生なら校舎に居るかもしれないわね。どうせ車で、迎えにくるには、まだ時間があるもの。私と久美ちゃんは階段を上った。
踊り場までくると、人間が横並びに三人並んでも映るくらい大きな鏡がある。ここを通る時は、昼間でもなんだか息が詰まるような恐怖を感じるわ。
あら。久美ちゃん、四階まで行くつもりかしら?
「久美ちゃん、四階は特別教室よ。伊藤先生だったら、特別教室には用はないはずだから、やっぱり見間違えだったんじゃない。帰りましょう?」
私は怖くなって、久美ちゃんのセーラー服の裾を掴んだ。けれど、久美ちゃんは私の呼び掛けには反応せず、まるで石になったように硬直している。
その原因は、私にもすぐに理解できた。
私達の真横にある大きな姿見の鏡に、なにかが揺らめいているみたい。目の端にそれが見えたけれど、私は悲鳴を上げる事すらできなかった。絞り出すような声で目の前の久美ちゃんに言う。
「久美……ちゃん」
「はぁ……はぁ……見ちゃだめよ、典子」
真っ直ぐに立っているはずなのに。
私達の体は、まるで金縛りに掛かってしまったように動かないのよ。恐怖で息が荒くなって、真冬なのに背中に汗が流れ落ちるのが分かったわ。
見ちゃだめよと言われたけれど、ミシミシと縄が軋むような音がするのよ。
私は見たくない、見ちゃいけない、と本能的に思っていたはずなのに、無意識に音の正体を突き止めようと、ゆっくりと鏡の方を向いていた。
女の人、女の人が。
首を吊った女の人が鏡の中で振り子のように、ゆらゆらと大きく揺れて――――。
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