第八話 因果応報

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第八話 因果応報

 逢魔が時。  夕日が傾き始めると校庭にいた運動部の生徒が、帰宅していくのが見えた。教室にはもう、私以外に残っている人はいない。  窓から外の景色を眺めていると、ガラガラと教室の扉が開いて、澤本が入ってきた。 「雨宮、すまない。待たせてしまったな。担当の山口先生じゃなくて、俺に相談だなんて一体どうしたんだ?」  澤本は、爽やかな笑みを浮かべて扉を閉めた。アイドル顔負けの容姿で、授業も分かりやすく、話術にも長けているので、生徒の人気も高い。  ラブレターを受け取るのは日常茶飯事だろうから、あえて私は普通の手紙として渡してみたけど、警戒せずに来てくれたみたいだねぇ。もしかしたら、女子学生と二人きりだなんて、下心があるのかもしれないけど。 「先生、実は私……霊感があるんです。それで困っていて。科学の先生なら、霊が視える現象なんて、ちゃんと科学的に説明して否定してくれるかなって思ったので、相談してみました」 「それはまた怖い相談だな。先生は思うにそういった類は、脳が見せる錯覚や、心理的な事が原因じゃないか。精神が疲れていたり、感受性が強いと、恐怖として形になるんだよ。ちなみに雨宮は、一体なにが見えているんだ?」  一瞬、澤本は固まったが、腕を組むと当たり障りなく笑って答えた。  読みが外れたというか、私を子供扱いして、馬鹿にするような口調だったので、おおよそ進路の悩みだとか、人生相談とでも思ったに違いないね。 「私が視えているのは、踊り場に現れる青のプリーツスカートの女性です。彼女は、この学校で亡くなった教師みたいですね。彼女はしきりにブツブツとこんな事を、言っているんです。『私と結婚するって約束したじゃない。(みのる)さん』何度も、そんな事を、繰り返して言ってるんですよ」  明らかに、澤本の顔が凍りついた。  おそらくこの人にとっては、忘れたくても、忘れられない言葉だったはず。 「あ、ああ……踊り場か。七不思議の幽霊か。雨宮は感受性が強いんだろう。だから有りもしない幻覚が見えるんだぞ。そんな事は忘れなさい」 「稔って、先生の下の名前だから驚いたよ。今まで、確信が持てなかったんだけど、あんたを霊視して、私の感は当たっていたんだなってハッキリしたよ。だって、あんたの後ろには、両手両足をがっしり絡みつかせている、赤城先輩の姿が視えたからね」  澤本は青褪め、ヒィっと声を上げたかと思うとまるで虫を払うように手を降った。 「止めないか、雨宮。大人を! 大人をからかうんじゃあない!」 「藤堂先生が、なぜ赤城先輩に憑いたのか疑問に思ってたんだけど、二人には共通点があったんだね。二人共あんたと関係が合った女だからさ。藤堂先生も赤城先輩も、あんたをとても愛して憎んでる。私は、二人があんたに殺されたんじゃないかと睨んでいるんだけど?」  さらに私が声を低くすると、澤本は冷や汗をかきながら後退し、机にぶつかった。幽霊が怖くて怯えているのか、それとも私の言った事が図星なのか、酷く動揺しているねぇ。 「し、仕方ないじゃないか。み、見合いの相手は辰子島製薬所のお嬢さんだぞ。幸子とは手を切るつもりで、金を渡したのに。妊娠したから、結婚して欲しいと俺に詰め寄ってきたんだ。しないなら、校長と見合い相手に自分との事をバラすと……だから、部屋にあった電気コードで首を絞めて……」   それで、学校まで彼女を運ぶと踊り場の階段格子から遺体を吊るしたんだね。最低な男だよ、全く。 「久美とは、遊びのつもりだったんだ。彼女は積極的で、つい流されてしまった。それから、なし崩しに恋愛ごっこに付き合っていたんだ。でも、あの日……あの日職員室に来た久美は……」  赤城先輩には、藤堂先生が憑依していた。それがもし、澤本に視えていたのなら、あの世から、自分が殺した恋人が、戻ってきたように思っただろう。  だから、澤本はパニックになって凶行に走ったんだね。どうもこの男は小心者のようなので、少し突くとボロをだすようだ。 「稔さん、け、結婚してと言われた瞬間俺はとっさに彼女の首をネクタイで締めていた。彼女の事は殺すつもりはなかった。俺の目の前にいたのは、間違いなく幸子だったのに。ま、前のように吊るすつもりだったけど、あの時、い、飯田も一緒にいたはずだったからな」  赤城先輩の遺体を科学準備室に隠すと、飯田先輩を起こした。それから迎えにきた飯田先輩の父親と探すふりをして、やり過ごしたという。  そして、後は警察に任せると澤本は、学校に戻り赤城先輩の遺体を踊り場に吊るした。  後は、誰かに発見されるのを待つだけだ。 「澤本先生、自首して下さい。そうしないと赤城先輩も藤堂先輩も浮かばれないよ。あんた、二度も過ちを犯したんだから、償わなくちゃいけない。とり殺されるよ!」 「しょ、証拠なんてないだろう。久美の友達なのか知らないが、嗅ぎ回って俺を脅そうたって無駄だ」  澤本は殺意の込もった目を向けると、私に襲い掛かってこようとした。悪いけど、これでも私は、子供の頃から柔道も習っているんだよね!  澤本の腕を掴むと、私は一本背負いをして投げ飛ばした。激しい音がして、澤本が腰を強かに打つと同時に、海野先輩が部屋に入ってくる。 「澤本先生、自白の証拠ならちゃんとこのテープレコーダーに録音していますから、観念して下さい」  澤本は腰を擦りながら舌打ちをすると、立ち上がる。そして、海野先輩に襲い掛かって揉み合うと、テープレコーダーをもぎ取り、彼を突き飛ばして教室から飛び出した。 「痛っ……おい、待て!」 「待ちなさい!」  私と海野先輩は、澤本を追い掛けた。このまま、証拠隠滅するか、それとも持ったまま辰子島から逃げ出すつもりなのか。  私達は、警察みたいに捜査をする事はできないので、ここで逃げられてしまっては、捕まえる事なんてできなくなってしまう。  往生際が悪い澤本が、あの踊り場の階段に差し掛かった頃、私はついにブチギレて叫んだ。 「仕方がないね。私は人間も悪霊も、悪い奴らも大っ嫌いだ。そんな奴等に情をかけるほど優しかないよ。自分のケツは自分で拭きな!」 「えっ……あ、雨宮さん?」  私は指で印を描くと、藤堂幸子の封印を解いた。彼女も赤城先輩も、恨みを持っているのはただ一人。澤本をどうにかすれば他に危害は加えない。  鏡の中に囚われていた彼女の封印を解いた瞬間、鏡にヒビが入り粉々に砕け散った。  潰れた喉から呻き声が聞こえ、半透明の女が、顔を伏せながら腕をダランと垂らして、ゆらゆらと鏡の枠を乗り越えた。 『私と結婚するって約束したじゃない、稔さん。私と結婚するって約束したじゃない、稔さん。私を愛してる、死ぬ時は一緒だって言ったわよね……稔さん……』 「ひぃっ……ひぃぃ、さ、幸子!」  藤堂先生はくぐもった声で何度も同じ事を繰り返すと、ゆっくりと澤本の方に首を傾けた。首吊りをすると、首の骨が折れると聞いた事があるけれど、それは間違いない。不自然に折れ曲がった首がダランと伸びていた。  眼球が飛び出し、血の涙を流しながら、ゆらゆらと澤本に迫りくる。  腰を抜かして、私達に助けを求めようとしていた澤本の背中に、今度はセーラー服の女子高生がしがみついて首に腕をかけていた。  眼球が飛び出た赤城先輩は、潰れた声で引き攣りながら、ケラケラと笑っていた。 『せんせぇ……約束覚えてる? 私達、ずっと一緒よね、せんせぇ』 『私達とずっと一緒よ、稔さん。もう絶対に離さないわ』 『せんせぇ……もう離さないわぁ』 『あの女には渡さない。永遠に愛してる』  二人の女の声が重なると、ずるずると闇の中に引き摺られる澤本が真っ青になりながら、私達に手を伸ばした。 「た、助けて、助けてくれぇ!」  私も海野先輩も動かなかった。  多分彼にも、恨みを持った二人の霊が視えているんだろうと思う。割れた鏡の中は、漆黒の闇で、澤本に絡みつく二人がずるずると死者の世界へと引き摺り込んでいく。  鏡の破片で手を切りながら、必死にしがみついていたが、抵抗も虚しくそのまま闇の中へと消えていった。  まるで時間を巻き戻されたかのように、割れた硝子が元通りになると、そこは何事もなかったように静かになる。 「あ、雨宮さん……澤本はどうなったんだ?」 「さぁ? あちらの世界に連れていかれたんだと思うよ。私にはあっちの世界に行った澤本を助ける力はない」 「そ、そうなのか」  海野先輩はゴクリと喉を鳴らすと、転がっだテープレコーダーを取った。静まり返った踊り場には、澤本の存在も、彼女たちの気配も、全て跡形もなく消えてしまった。
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