「ここに手を置いて」

5/9
前へ
/9ページ
次へ
 お互い新生活が始まるまでの休みの間は、毎日連絡を取り合っていたが、いざお互いの仕事や学校が始まるとそんな余裕はなくなってしまった。一週間に一回、電話ができたらいい方だった。だが、そんな時間も愛おしかった。電話するたびに、嬉しそうな声で話してくれるのが日々の仕事で疲れている僕にとっての癒しになっていた。そして、電話のたびに凛は最近勉強して感動したことを話してくれていた。本人は自覚していないのだろうが、専門用語を無意識のうちに使っていたせいで、何を言っているのかほとんどわからなかった。それでも、楽しそうというだけで聞いている価値はあった。年に数回、会ったりもしていたがずっと楽しそうな姿を見せてくれていた。  そして、それが変わり始めたのはいつからだろうか。  凛が三年生になった頃、電話をしても出なくなった。メッセージを送っても返事の頻度が減った。会いに行こうと思っても断られるようになった。  嫌われたのかもしれないと不安になった。もしかすると、向こうで新しく好きな人ができたのかもしれないと考えた。悔しいが、それなら仕方がないと思ってしまった。遠くにいる人よりも、身近で支えてくれる人がいるのならその人を選んでしまっても仕方がない気がした。もちろん、納得はできないが、自分にできることがないことを思うと文句は言えなかった。  だが、それは杞憂だった。ある日の真夜中。突然電話がかかってきた。相手は凛だった。ここ何ヶ月も電話をしていなかったから、嬉しかった反面これで別れるのだとも思っていた。応答ボタンをタップしてスマホを耳に当てる。 「久しぶり。こんな夜中にどうしたの」 「ごめんなさい、本当にごめんなさい……」  電話の向こうの凛は泣いていた。声を詰まらせながら、何度も無意味に謝罪を繰り返した。凛が泣いているところを聞くのは初めてで戸惑ってしまった。どうしたのと訊いても、声を泣き声ばかりが響いて言葉が出てこない。 「もう、無理かもしれない」  やっと吐き出してくれた言葉の意図を掴めなかった。僕らの関係のことを指しているようにしか聞こえず、反応に困ってしまう。 「なにか、つらいことでもあった?」  僕とのことであってほしくないという気持ちから、そう訊いてみた。すると、返ってきた答えは意外なものだった。 「私、看護師向いてないかもしれない。もう……」  長い空白を開けて「辞めたい」という声が漏れた。僕とのことじゃなくて安心したが、予想外の言葉に僕も黙ってしまった。きっとこの一言を誰かに伝えるだけでもかなりの勇気が必要だったんだということを考えると、適当な相槌の一つもうてなかった。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加