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憧れのひとが死んだ。
錬金術の試薬を作っている時に発生した、毒の霧が原因だった。
『マーサは見ては駄目』
母の腕にさえぎられ、幼いわたしの目では、肌が紫に変色したなにかが折り重なって倒れている室内を、一瞬垣間見ることしかできなかった。
棺の蓋はしっかりと閉められ、最後の花を添えることすらできないまま、彼は土に還った。
それから十年。
「マーサ!」
名前を呼ぶ声に、わたしは薬草を摘んでいた手を止め、少々うんざりした表情をしているだろうなと自覚しながら、腰を上げる。
草原の向こうから明るい笑顔で手を振り駆けてくる青髪の青年は、里の守役のアーキスだ。王都から派遣された、と言えば聞こえはいいが、辺境の錬金術師たちの里に配置されるとは、早い話が厄介払いの左遷だ。貴族の六男なのに王宮騎士団でめざましい活躍をしてしまった彼に、悪意の矛先が向くのは、当然のことだったとは、政治に疎いわたしでも想像がつく。
だけど彼は、自分の身にふりかかった不幸なんて何ということはない、とばかりにはつらつとした態度で振る舞い、里の女性たちの人気を集めている。それがまた、男たちの不興を買っていることに、彼は気づいているのだろうか。いや、わかっていたらこんな立ち居をしないだろうな。
「マーサ、錬金術師が里の外に一人で出るのは危険だと、何度も言っているだろう。最近獣が凶暴化しているんだ。薬草摘みに行く時は僕を呼んでくれ」
本当に心底からの厚意だけで、アーキスは滔々と諭してくる。
でも。でもね。
誰にでもそういう配慮を見せるから、女子の間でも彼を巡っていがみ合いが起きている。まっすぐすぎるアーキスは、それにも気づいていないだろう。
わたしは溜息をつきながら、薬草の詰まった籠を抱え直す。
「守役のおつとめは、ほかにももっとあるでしょう? わたしのことは放っておいて」
「できないよ」
少し突き放す口調を放っても、アーキスは胸に手を当ててかぶりを振る。
「十年前の事故のように、貴重な錬金術師がこれ以上失われないために最善を尽くすのが、僕の役目だ」
「十年前の、事故」
それを聞く度に、わたしの胸の奥は、鋭い刃で刺されたように痛むのだ。
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