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積丹半島を揺らした地震に晒され、紀子は、不意に起きた津波に飲まれた。
あ――不味い。
岩に激突する寸前、その体が、ふわりと包まれたのを感じた。
え?これ、まさか。豊玉姫?
紀子を救った霊気は、豊玉姫、有り体に言うと、竜宮城の乙姫だった。
ありがとう。豊玉姫。
紀子は、水中で祝詞の詠唱を続けた。
水中では息が出来ないなど、そんなつまらない常識は、神に守護された今はもう無意味だった。
そして、
水中で、巨大な光の柱が昇った。
新たな天の御柱が、半島沖わずか50メートルの位置に、突如顕現していた。
その頃、地表を激しい雷撃が、這うように走っていた。
静也は、激しく風を震わせていて、空気中は絶縁なはずなのに、それでも、全身に刺すような火傷の苦痛を感じていた。
それでも、一歩も退かない不退転の決意があった。
それは、匂いで明らかだった。
俺の、本当の弟の匂いだったからだった。
「凄いよ!お兄ちゃん!ところで、ねえ、僕の本当のお兄ちゃんを知ってる?!」
「――ああ。俺は、お前の兄ちゃんの古い知り合いだ。お前の――母親は」
「あんな女は知らないよ!あいつは、僕を殴っていたんだ!父さんがいなくて、兄ちゃんも死んだ!あいつは、僕がお金にならないから、僕を捨てたんだよ?!」
それで、おおよそが理解出来た。
静也が狐魂堂愛児園に行くことになった理由が、最後まで解らなかったからだ。
虐待していた父が捕まり、父から解放された、俺は何故、母と生きられなかったのか。
何のことはない。母親もまた、邪悪に染まっていたのだ。
トキさまのことだ、親の役割を放棄した母親から、子供を金も払わず奪うような真似はするまい。
一時的に金をもらった代わりに、母親は、俺を捨てたのだ。
「僕の兄ちゃんはね?ずっと前に、僕が赤ちゃんの頃に死んじゃったんだってさ!それで、母さんは僕も殺そうとした!階段から突き落とされたり、お風呂に沈められたりね!でも、僕には震結がいたから。それで、僕をいないもとして無視することにしたんだ!僕は可哀相だろ?!羅吽は、僕を可哀相だって言った!僕を抱いて寝てくれたんだ!だから、羅吽がこんな国要らないって言うなら、僕は、羅吽の代わりに日本滅ぼすと決めたんだ!僕は逃げるからいいよ?地震だって、僕には追いつけないさ」
あれ?地震が、止まった?
「虐待の連鎖が、国の行く末を断とうとするとか、教育って重要なのね?」
空に、紀子が浮かんでいた。
「今更志那都彦勧請?流石に祝詞思い出すのにえらい時間がかかったけど。これで、このフィールドはあんたに有利よ。霊脈は結び直した。日本が滅ぶ訳ないでしょ?さっさとこのガキぶっ飛ばしなさい」
「お口が悪いですがその通りです。君は、風神として舞うのです」
突如現れた勘解由小路真琴が言った。
「了解。ムク!ここに、俺の魂に来い!」
「震結!僕の魂を食え!敵を滅ぼし、もう一度地脈を乱してやればいい!」
風獣が、雷獣が、それぞれの体に飛び込み、そして、巨大な霊気が場に満ちていった。
この悲しい兄弟喧嘩は、間もなく終結する。
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