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30段目
TwitterもといXでも呟きましたが、今日発表だった新潮新人賞に応募していた「絶筆」、落ちました。2次選考にすら通りませんでした(2次まで残ると名前と作品が載る)。
よって「絶筆」は2024年12月31日をもってエブリスタからパソコンまで全てのデータを消去します。純文学系の公募は残り全部Webサイトに投稿した作品は対象外だし、もう行き場が有りませんから。新潮が最後の賭けだったんです。それに負けた以上は対価を支払わなければなりません。
それに受賞どころか書籍化に値しないことはエブリスタに公開して1年、何の拾い上げも無かったことが証明しているのかな、とも思います。仮に後々別の作品で小説家デビューが決まって、「過去の作品も出しましょう」と言われてももう出す気になれません。だってそれなら「じゃあなぜ完結した当初にそう言わなかったんですか?」と質問せずにはいられません。だって校正で直せるのは誤字脱字ぐらいでしょう。文体を変えたらそれはわたしの作品では無いし、話の流れを変えたら作品そのものが変わってしまう。確かに明るい話では無いけれど話の雰囲気でデビュー作決めるとか聞いたことないですわ。作品を非公開にしたのは今年の3月に入ってからだし、それまでまるまる1年存在に気が付かないってどうなんです。Xでも「執筆応援キャンペーン」の記事挙げたし、プロフにもURL貼ってるし。
自分はプロ作家に、それも専業作家になりたいんです。作家側にも出版社側にもしこりを残すような作品は残せません。陶芸家だってどんなに出来上がった器が綺麗でも気に入らなければ壊しますよね。それと同じです。これでも甘ったれな救済措置を残しているので不様なんですが、やはり書き上げて仮にも評価された作品を捨てたく無い。けれど書籍化の価値無しの作品をいつまでも取っとくのは精神的に来ます。昔、とある人と「いつか読まれる時が来るから」と話をしましたがもうその時期をとうに超えてしまいました。
個人に読まれるのは嬉しい。感想を貰えるのはもっと嬉しい。しかしプロになりたければもうそれだけでは駄目なんです。でも何が書籍化される人と決定的に違うのか分からない。ほんとに何が駄目なんだよ。拾い上げもされないって相当価値無いんだな。違うって言われても現に何の話も無いんだから本当なんでしょう。
群像も駄目、文學界(短編)も駄目、新潮も駄目。それぞれ作品は違いますがちょっと疲れました。あ、だからと言って書くのはやめませんよ。
一生に一度ぐらいなりたい自分になれ私。で無ければ生きてる価値無し。ぐらいの気持ちでいないと。
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