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第30話
学生の夏休みがこれほどまでに長いことを、楽しみはしゃぐ気持ちはどこへやら。こんなにも恨み辛みを募らせる結果になったのは、かの有名な美少女の皮をかぶった妖怪オタクの水瀬雪のせいである。
決して、高尚なる健全な男子学生という生き物である自分が悪いわけではないと、今すぐにここで日本の八百万の神々に誓いたいものだ。
悲しいことに、我が青春なる夏休みの幕開けは水瀬雪に始まり、そして水瀬雪に差し掛かり、水瀬雪で終わる運命にあるようだ。
これが自分が受けし前世からのカルマであると、どこぞやのあんこが好きだからという理由だけで人を呼び出すという、金ピカ大仏様にでも言われたら、しくしく泣きながらも受け入れられよう。しかし、ただの美少女の妖怪オタクに言われたのであれば、はらわたが煮えくり返っても致し方あるまい。
金ピカの大仏様に言われたところで、煮えくり返るのだから、美少女に言われたところで煮えくり返るのは妥当な心情だ。
というわけで八月の中盤に差し掛かっているものの、一向に水瀬が俺から離れる気配がない。それどころか、我が一族のハートを鷲掴みにした挙句、ちょいちょい人の家に泊まりに上がり込んで来ると言う始末である。
もはやこれは、妖術で我が一族をたぶらかしたとしか思えない。俺は引っかからないからなそんな妖術と思いつつも、カーテンを開けて朝日に照らされた俺のベッドで寝ている水瀬の、ショートパンツから覗く白い脚に、何やら引っかかってしまいそうな気になるのを堪えるのにいっぱいいっぱいである。
紳士として下世話な感情は捨てるべきだと自身を戒め、開け放した窓の外に向かって深呼吸をする。
「般若ーはーらーみーたー……」
煩悩を抹殺するべく、ついに俺は念仏まで覚えてしまったわけであり、水瀬が泊まった日の朝になると、気持ち的には古都の生きる国宝級のど偉い坊さんたちと同じくらいに朝のお勤めに身が入るのであった。
そんなわけで二回ほど念仏を唱え終わったときに、目の前に現れたのはキュートな花柄のシャワーキャップをかぶった、なんともふてぶてしい顔立ちをした河童である。
『よお、飛鳥。朝から偉いこっちゃなぁ。念仏唱えてどないしたん?』
俺は三回目の途中だった念仏をやめる事なく、日本に住む者なのだったら得意であろう〈察する〉という能力を、今ここで素早く、すぐに今すぐに発揮しろと言わんばかりに、目を見開いて怒りと共にベッドと河童を交互に見た。
それを文字通り察した河童は、「ははーん」と何やら得意げな顔つきになったかと思うと、にたにたと笑いながら短い腕を組んだ。
『さしずめ、美少女をついに襲ってしまったか? 飛鳥も隅に置けないやつやなぁ』
「阿呆か、このやろう! 俺が許可もなくそんな不埒なことをする男子大学生に見えてるのなら、お前の目は節穴以下だ、母さんの腹の中から出直して、一昨日きやがれ」
『けけけけ。冗談や。ええなぁ、アオハルやなぁ』
「冗談じゃない!」
これがかの有名な学生たちが必ず通ると言われている、青春というものであるとしたら、こんな青春たまったもんじゃないと、俺は国宝の仏様もびっくりする仏頂面で悪態をついた。
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