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同時に。悲鳴を上げたらきっと恐怖で胸が張り裂けて、涙が出てしまうのもわかっていた。ただでさえ怖がりな性分だ。姉に見せられたホラー映画で毎回泣いているし、ディズニーランドのお化け屋敷でさえ怖くて涙が出るほどなのである。泣いたら終わりと分かっている以上、何がなんでも堪えなければいけない。死にたくないなら。永遠とも思えるような苦痛を浴びたくないのなら。
――お願い、来ないで……こっちに、こっちに来ないで、お願い……!
便座の蓋の上に座り、祈るように両手を握り閉め続けていた。しかし、少女の願い空しく、がちゃり、とノブが回る音が響き渡る。
誰かが、洗面所に入ってこようとしている。
――き、来た!?来たの!?
いやまだ、そうとは限らない。同じ演劇部の先輩たちの誰かかもしれないし、宿の人だって同じトイレは使うはずだ。鬼がトイレに入ってきたとは限らない。過剰にビビる必要はない、と己に言い聞かせる。
希望的観測だとわかっていながら。
そもそも人が入ってきたのに、電気をつけないなんておかしいと気づいていながら。
そして。
べちゃり。
不自然に、濡れた足音が木霊した。ひいっ!と喉が引き攣れた悲鳴を漏らしてしまい、慌てて両手で口を押える。さっき廊下で遭遇した鬼と同じ足音だ。全身が濡れているようで、歩くたびにべちゃべちゃとカッパか何かのような音がしていた。聞き間違えるはずがない。あの鬼が、このトイレに入ってきてしまったのだ。
――お願い……お願いお願いお願いお願いお願いお願い!来ないで、こっちに来ないで、諦めて!!
ここのトイレの個室は、どれも“入っている人がいなくておもドアが閉まる”タイプとなっている。一見見ただけでは、どれに少女が入っているかなんてわからないはずだ。ましてやこの暗さ、鍵がかかっていることもドアをひっぱらなければそうそう判別できないことだろう。
どうか、誰もいないと思って帰ってほしい。自分の個室のところまで来ないでほしい。
しかしその願い空しく、べちゃ、べちゃ、べちゃ、という濡れた足音はどんどんこちらへ近づいてくる。明らかに、まっすぐこの一番奥の個室を目指しているではないか。隣の隣の個室も、隣の個室も通り過ぎて――音は、この個室の前で止まる。
――いやっ……!
ドアの下の隙間に、影が落ちていた。誰かが立っている。ぽた、ぽた、と水の雫が落ちる音。それから、腐った沼のようなきつい臭いが立ち込める。
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