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マモル ミーツ マミル
こういう時、どうするんだっけ?
突然の出来事に、ぼくの頭の中は一瞬、真っ白になった。再起動した脳が発した指令が、「対応策を考えよ」だった。
薄曇りの蒸し暑い日。夏休みも、あとわずかとなって、ぼくは借りていた本を学校の図書室に返しに来ていた。図書室のドアの外にある返却ボックスに三冊の本を投函する。帰りはアイスでも買って帰ろうと踵を返したところ。
バタン、ガタン、ゴトン。
ドアの向こう、図書室の中で、何やら物音がする。
ぼくはそっとドアを開け、十センチほどの隙間から中を覗く。正面の「特設企画コーナー」のラックの下の床に、本が何冊か散らばっている。
まっ黒で、まん丸な瞳がぼくを見つめていた。タヌキだ。そいつは、壁の下側に取り付けられた換気用の小窓の前で、じっと動かず、ぼくを見ていた。小窓は下に取っ手がついている。図書室は校舎の一階にあり、タヌキは、少し開いていた小窓から入ってきたものの、何かのハズミで窓が閉まってしまい、出られなくなってしまったようだ。
図書室のドアをそっと閉め、背中で押さえる。 で、文頭に戻る。
こういう時、どうするんだっけ?
都内であるにもかかわらず、この学校がある田瀬谷区には、かなりの数のタヌキが棲んでいるらしい。
区役所から投函される広報紙を思い出した。確か「タヌキに注意!」という見出しで、タヌキを発見した時は、脅かしたり自分で捕まえたりせず、区役所に連絡して、駆除は専門家にまかせるべし、という旨の案内が書いてあったような。駆除? 殺しちゃうの?
ぼくはもう一度ドアを開け、様子をうかがう。ツヤツヤの黒い瞳がこちらをじっと見つめている。幾分悲しそうにも見える。
コツン、コツン。図書室脇の階段を誰かが降りてくる足音が聞こえた。夏休みでも学校は解放されているが、今日は生徒の姿はほとんど見かけていない。ぼくは、少しだけ勇気を振り絞ると図書室に入り、一番近くの大窓を思い切りバンと開けた。
窓が開くや否や、タヌキは猛然とダッシュし、見事な跳躍を見せ、図書室を飛び出していった。
その時一瞬、タヌキは横を向いてぼくの顔を見た・・・ような気がする。窓の外は、石畳の歩道に沿って生垣が伸びており、タヌキはその中に姿をくらました。
「おい、どうした?」
足音の主は、バスケ部の顧問の荒井先生だった
「いえ、ちょっと換気を。」
図書室に誰もいないのに下手な言い訳をしてしまったが、特に怪しまれることもなく、荒井先生は「用事が済んだら窓は閉めてさっさとと帰れよ」言い残し、体育館の方に去っていった。
床に散らばっていた本を棚に戻しながら考える。 あのタヌキ、図書室に忍び込んで、いったい何をしていたんだろう。
長いはずの夏休みは、あっという間に終わり、今日から二学期が始まる。教室内は、夏休みが終わってしまったことを力なく嘆く声、充実した日々を送ってパワーみなぎるリア充の声が入り交じり、とにかく賑やかだ。ぼくはと言えば、特に旅行に出かけたわけでもなく、学習塾の夏期教室に通いつつ、平々凡々な毎日を送っていたので、夏休みが終わって悲しいとか嬉しいとかの感慨はない。
教室の前方のドアがガラっと開けられ、担任の渋川先生が入ってくる。開襟シャツにノーネクタイのおじさん教師に続いて、うちの中学校の制服を着た小柄な女の子が、後をチョコチョコとついてくる。教室は一瞬静まりかえった後、お! とか転校生? とか、かわいい? とか小さなざわめきが起きた。
「年度の途中だが、二年三組に新しく仲間が加わったので紹介する。」
渋川先生が転校生に自己紹介を促す。先生は黒板に向き、白いチョークで大きく「林田 真美瑠」と名前を書いた。女の子は、少し緊張しているのか、下を向いてもじもじしていたが、意を決したかのように、話し始めた。
「・・・みなさん、はじめまして、あの・・・はやしだ まみる、と言います。家族の都合で叔母の家に住むことになって、転校してきました。わからないことだらけなので、いろいろと教えてください。どうぞ、よろしくお願いします。」
自己紹介を終えると、左右に団子で髪をまとめた頭をちょこんと下げ、そっと顔を上げる。
「はーい、よろしく! 質問だけど、ニックネームは? 前の学校ではなんて呼ばれてたの?」
クラスで一番活発かつフレンドリーな玲花が質問する。玲花は、あたしのことは、レイと呼んでねと勝手に自己紹介し、林田さんの答えを待つ。彼女の緊張が一層強まった気がする。
「・・・えーと、そのまま、マミルとか、マミとか、ミルとか・・・好きに呼んでもらっていいです。」
玲花は、じゃあ、マミちゃんにするね、と強制的に決めてニコッと笑った。逆効果ではあったが、彼女なりに転校生の緊張をほぐそうとしているのかもしれない。そういえば、レイは小学校の時に、この街に引っ越してきたんだったな。林田さんは教室を見渡して、つぶらな瞳をキョロキョロさせていたかと思うとうつむく、という一連の動作を繰り返していた。
その動作が三セット目に入った時、ぼくと目が合った。まん丸な瞳でじっと見つめる。そしてエヘヘと笑った。
「えーと、席は、町村の隣でいいな。」
渋川先生はそう言うと、林田さんを連れてこちらにやってくる。町村はぼくの苗字だ。
よく学園ラブコメものの漫画やアニメだと、一番後ろに座っている「ぼく」の隣の席がたまたま空いていて、そこに転校生が案内される。現実でもこんなことがあるのか。林田さんは片手で鞄を持ち、もう一方の手で眼鏡ケースを持っている。
「眼鏡、かけてるの?」
ぼくが彼女に声をかけた初めての言葉がそれだ。
「うん、近眼なので。」
ぼくは、少し考え、林田さんを連れてきた渋川先生に申し入れた。
「先生、林田さんの席、前の方がよくないですか? 前に座っている太田君の背中で黒板も見づらいと思いますけど。」
「そうなんだが、彼女の強い希望でね。まあよろしく頼むよ。」
何をよろしく頼まれたのかはわからないけど、とりあえず、はいと答える。林田さんがなぜ後ろの席を希望したのか、後でわかることになったけど。彼女は鞄を机の横のフックにかけ、席についた。
「あの、よろしくお願いします。」
少し緊張が和らいだようだ。まん丸の黒い瞳でぼくを見つめ、挨拶する・・・ん? なんか見覚えがあるような、ないような。
「よろしく。ぼくは、町村 守。・・・ひょっとして、ぼくとどっかで会ったことある?」
林田さんは、ギクッと体を震わせたが、少し考える素振りを見せ、ぽそっと言った。
「たぶん。」
そしてエヘヘ、と笑った。渋川先生が連絡事項を話し始めたので、これ以上聞くことはできなかった。
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