13.夏鳥の泣声は儚くて

2/10
前へ
/121ページ
次へ
 ――――2年後、初夏。 「ありがとうございます!」  意気揚々と電話を切り、俺は額の汗を拭った。強い陽射しが照りつける湘南のオフィス前。新規のクライアントからの受注にほっと胸を撫で下ろす。    親会社の倒産を受けて独立した湘南wreathは、経営を軌道にのせるべく全員で挑んだコンペを勝ち取り躍進を遂げた。今や大手広告代理店とも提携している。  この絶好調をなんとなく予知していた、気がするのは……夏雪の花が咲き始めたから、かもしれない。  一昨年、台風に花も葉も飛ばされ、去年は葉が茂ることもなかった。  俺の心にまだ残る夏雪の花を()でる気持ちは……  苦境の中で俺自身の(ふところ)を深く男を磨き上げる支えになっていた、とも思う。  仕事に没頭していたら、年月などあっという間に流れるものだった。  そして8月。  たった1週間くらい多忙で駐車場に足を運ばなかっただけなのに……いつの間にか夏雪の花は満開になっていた。  休日に朝食を買いに出たついで。予想以上に咲き誇っていた花の姿に俺は茫然と立ち尽くす。  その、美しい真っ白な花の初雪は――――やはり心を奪われる輝かしさだった。  どんな宝石よりもきらきらと。夏の光と調和する清らかな雪色……  その、可憐な花達に優しく微笑む――――透きとおるような(きら)めく笑顔。  この夏雪の花は……世界でたったひとつの宝物。俺達の、宝物だ。  記憶と、気持ちと、刹那(せつな)さ。  ほんの一瞬でぜんぶ舞い戻ってきたんだ。  愛しいひと、が……  湧き上がってくる熱い大きな塊。むせ返りそうになるのを我慢する。なんだか……ジリジリと胸が痛い。  このままじゃどうにかなりそうで、破裂しそうな恐れを抱く。  この衝動をもう、抑えきれない!  ――――気づけば走り始めていた。  急いで支度をして愛車に乗り込んで、東京へ。  ずっと、忘れることなんてできなかった。  彼女の記憶も、残像も、部屋も車もそのままに。  がむしゃらに(くじ)けずやってこれたのも、彼女に見合う理想を目指していたからで。  今の俺は……  あの時よりだいぶマシな男になったはずだ。  助手席にはリングケース。  自分を戒めるためにいつも手元に置いて、彼女の分身のように雪の指輪を眺めてた。 『――――雪乃さん、愛してる。俺と結婚してください……』  伝えられなかったプロポーズの言葉は、これまでに何千回……心で唱えていたことだろう。  もし、今日彼女に会えたなら。  まだ、縁が残されているなら。  もう一度やり直したいと、願ってもいいだろうか?  今度こそ幸せにしたいと、誓ってもいいだろうか?  俺は――――――  勢い任せに彼女のマンションにやって来て、期待と緊張で胸をいっぱいにし運転席からエントランスを眺めていた。
/121ページ

最初のコメントを投稿しよう!

265人が本棚に入れています
本棚に追加