独白/毒吐

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独白/毒吐

「はっきりと言ってしまうけれど、僕は君のことが嫌いだ。初対面の相手に対して失礼な事を告げている自覚はある。僕をただの気狂いだと思うなら別にかまわない。それでも僕はね、適当に嘘と世辞を交わして、君のご機嫌を取れるほどの余裕を持ち合わせていないし、そんなことを君にしてあげる義理も見つけられない。国会議事堂や官公庁を目先に置いた低いビルの無い街には似合わない、我楽多みたいな僕に如何して君は熱視線を送ることができるのか、皆目見当もつかないんだ。君はペシミストか、それともニヒリストか。まあ、どうでもいいよ。数十分前に、隣に座ってきた君が煙草を取り出して、僕がそれを欲しがったから始まった会話さ。生産性などありはしないし、勿論二人の間に明日や未来はないからね。今日が寒い夜で良かったよ。好奇心で揺れる君の心が鬱陶しくて暑苦しいからね。君が窮した過去を誇らしげに語る度、その唾液が溜まった語尾の甘い吐息が匂うんだ。私は救いを待っていると君は言ったが、救済を祈る無様な無垢が、厭な記憶を彷彿とさせて頭痛が起こるんだよ。夜の感傷と喧騒が君の平静を麻痺させているのは察するけど、君が期待しているような事象を僕は与えることができないんだ。僕には責任も、勇気も、自身も、信頼もないからね。『信頼は罪なりや』って、太宰も言っていたから。でも君は、全てを語り終えた刹那に、僕に救われる以外の選択肢を勝手に捨てているだろう。怖いんだ。期待されるのは苦手なんだ。でも、人の性でもあるのかな。相手に期待し、脳内で適当に造形した象を押し付け、其処へぴったりと埋め込めねば私は不幸だ、愛されない生き物なんだど泣き喚いて被害者面をする。君はその典型だよ。ごめん。僕はやっぱり病気かもな。薬が切れて気が落ち着かないんだ。どうか、君に罵詈雑言を吐く僕を赦さないで欲しい。所以があるんだ。昔、僕を神様だと言い切った女がいたんだ。その彼女と、君がどうしても重なるんだ。僕は彼女を、今の今まで、いや、一秒たりとも欠かさず畏怖し、憎み、愛し、囚われ続けているんだ。愛する人を神だと崇めるなんて、それこそ気狂いの所業だとは思わないか。僕はただ、彼女の隣で永遠に、一般の暮らしをして、同じ体温で眠りたかっただけなのに。愛され方も知らなかった彼女に、愛を初めて教えたのは僕だというのに。恩を仇で返すなんて、巫山戯ているよな。劇性が彼女を掴んで離さなかったんだろうな。彼女は作家を志していたんだ。物語のような生き方をしたいという口癖があった。有名にはなれないまま終えたけれど、彼女の書く物語を、僕は彼女の次に愛していたよ。命を削って作品を生み出し、とうとう彼女は作品に殺された。途端、僕への信仰心が潰えたのか、もしくは大きな罪を密かに犯してしまったのかは知らないけれど、彼女はちゃんと、小説の如く僕の世界から突如として姿を消したよ。以来、僕は言葉を上手く発せられなくなった。彼女の存在は僕にとって、平仮名一音みたいなものだったんだ。語彙が無数に消滅し、孤独の淵に追い込まれた僕は、飽くこともなく彼女の呪縛を身体に巻いて眠るんだ。早く彼女に会わねばと、脈打つ日々を憂いているよ。どうして君が彼女に似ているのかわかるかい。僕がそうあればいいなと思っているからさ。風貌や声、生い立ちとか、その横顔が紫煙を吐きだす仕草もそっくりだと確信があるのに、彼女がどんな顔で、どんな表情で笑っていたのかはさっぱり思い出せない。つまり最悪なんだ。僕が一番他人に期待し、他人に救いを求めているのかもしれない。君の事、これだけ酷く罵ったくせにね。申し訳ない。ああ、信頼は罪なりや。僕はもう誰も信じることができないよ。僕の知らない場所で、知らない誰かと、僕が教えた笑い方で彼女が笑っていると思うとぞっとする。赦せないな。赦せないけれど、もうどうにもならないから、僕は諦めるよ。僕自身と、この街にある全てを諦めて終えようと思う。僕は覚悟を決めていたんだ。それなのに、君のような他人が、僕の人生に大きな波を起こしてしまった。死は凪に似ている。苦しみと苦しみがぶつかり合って、一番静まり返った時に命は還る。僕はもう少しで凪を完成させられたんだ。でも、君がそれを壊した。責任を取れとは言わない。ただもう一口だけ、煙草を吸わせて欲しい。君が吸っている銘柄は、彼女の愛した銘柄だからね。最後の晩餐はそれにしようと考えていたところなんだ。……ありがとう。落ち着くな。薬の代わりになったよ。色々と勝手を言って悪かったね。君も身体に溜まった毒素が多少は抜けたのなら良かったよ。今夜は冷える。遅くなり過ぎる前に帰るといいよ」     *  深夜二時に新宿三丁目の下水臭い路地裏で、酔った勢いのまま唇を奪われ、挙句の果てにホテルで射精ついでの告白をされた瞬間、私の価値は決まってしまったのだろう。無垢な時分の私は阿保で、終電さえ逃せばロマンスが始まると期待していた。しかし考えてもみれば、シンデレラは零時に南瓜の馬車で帰路に着く。魔法が消えてしまわぬ可憐なうちに撤退する潔さと、硝子の靴を落としていく愛らしい粗忽さの二面性故に、彼女は王子と出逢い、ちゃんと愛されることができたのだ。一方私ときたら、肌寒くなって人恋しさに耐えられず、恰幅の良い身体に心諸共暖を取る為寄り添い、馬鹿の一つ覚えみたいに他人を肯定し、結局相手に大きな勘違いさせて、自然に濡れて、必死に喘いで、宿に忘れ物をしないように気を張って帰るばかり。そんな荒唐無稽な性の温床がいつか生活の一部になっても、籠城した失楽園の外壁すら段々と崩れ、身体を壊して、先月ついに地雷だらけのNN店ですら働けなくなった。以来、大久保公園付近で顔を晒しながら「暇つぶし」と「ニ、若しくはイチゴ」を街往くオスに自動返信している。生き様が矮小で口癖が「罪悪感と向き合いたい」だった既婚者や、三十過ぎるまで親の脛を齧っていた精悍なだけが売りのクズ、夢がある生き方こそ美学だと私に強要するペニスが小さい若輩に、恥も忘れて媚び、飯を食いつないでいるのだ。つまりは最悪。日常に終止符を打ちたいと傷を食み、ピリオドの打ち方すら孤独過ぎて学べず、眠る度に中学時代好きだった憧れの人のことを思い出したりして、ネグレクト癖のある母から蒸発した父に対する不満を訊かされて、「そういえばアンタ」と優秀な弟と比較される。もう死にたいと上野や吉祥寺で呑み歩いて、双極性を抑える薬はもっと飲んで、骨の髄まで腐っていって、稀に瀟洒な美人の玩具にされるのが私だった。そんな私の生き様を侮蔑するなら、お前らの黒目で抉り取ってちゃんと白い目で私を見させてやりたくなる。そうやって世界を憎みながら、虚弱に堕ちた身体で今晩も股を開いた。三回目の男だった。男とは東京駅前で解散し、少しだけ夜風を浴びて散歩をしようと思った。丸の内中央口の煌びやかな駅の外観から逃げるよう背を向け、皇居前内掘を繋ぐ行幸通りを歩いた。風格ある首都東京の『顔』をイメージされたこの空間は私の胸を苦しくさせ、こんなことなら真っ直ぐ帰ればよかったと悔やんだ矢先、人気の落ち着いてきたベンチに寝そべる一人の男性が目に留まった。私は立ち止まってじっくりと彼を見たが、酔っているわけではなく、不潔さもなく、だからといって寝てもいなくて、彼はそこで息をしているのに、私はそこに屍を見た。黄昏と呼ぶには絶望の香りがしていて、私は隣に腰を下ろし、煙草を取り出した。すると彼が「一本くれないか」とせがむので、最後の一本だから嫌だと断ると、ならば二吸いだけ先にさせてくれと言った。私は煙草の先に火を灯し、彼の口に刺した。深くゆっくり紫煙を吐きだした彼は、「この街も、僕も、もう直に終わる。信頼は罪なりやとは、このことか」と言って笑った。整った顔をしていて、病的なほどに痩せた彼を私は何故か好きになった。潮騒や波のような鮮やかものではなく、彼は東京の瞬きと猥雑な騒音に攫われたのだろう。私は気づけば彼に気を許し、心を吐露し、全てを彼に語り尽くしていた。思わず涙ぐんでいると、彼が私に対して毒を吐き始めた。長い台詞のような言葉を終えた彼が最後に「僕は先に行くよ。君も本当に辛いなら、後を追えばいいさ。僕が彼女と出逢えなかったら、彼女に一番似ている君と暮らそうと思えたよ」と言った。最低じゃんかと吐き捨て、私は煙を口いっぱいにためて彼にキスをし、その場を去った。もう二度と会う事はない。そんな演出的な夜が私を救った。深夜零時の少し前。ライトアップされた丸の内の街路樹を早歩きで駆け抜け、私は終電に飛び乗る。電車に揺られながら、対面の窓に映る靄がかった私を見た。彼の最愛であるその女性は、王子様と出逢えてさぞ幸せだったろう。シンデレラのように破顔できるか不安になりながら、ベンチにライターを忘れたことを思い出して子供みたいにちょっと笑った。
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