CABiN

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「罰です。女ひとりを殺してまで作家になりたかったの?  もがきあがいて、作家たる栄光得て、ざまを見ろ、麻薬中毒者という一匹の虫。 よもやこうなるとは思わなかったろうね。地獄の女性より。」 —— 太宰治「虚構の春」より  あの七十二時間は、今でも人生で一番永い三日間だったと思われます。 僕の頭ではくだらぬことばかりが行き来をし、罪を認めながらも、内心は社会復帰後の前科の有無だけを気にしていました。「自殺幇助」という恐ろしい四字熟語を、膝を折ったまま連呼し、寂寞にとらわれ、一瞬、あろうことか彼女の顔すら忘れてしまうくらいに怯え込む愚かな男が僕です。救いようのない下衆が僕の正体なのです。  冷たい小屋で必死に掻き回した思想と後悔をいずれ作品にしなければ、僕は彼女に呪われて死ぬように思いながらも、罪を告白する勇気が出ずに四年もの歳月が経って、僕はようやくここで、あの刹那を形式的に綴れるくらいには人生が耽溺してきたわけです。片山いずみ。それが彼女の名です。僕はこれまでどんな小説、エッセイでも、彼女について一切を語ったことがありません。それくらい、いずみは特別な存在でした。僕がいずみを文字に起こすと、記憶の中に残る彼女の皮膚がぽろぽろと剥がれ落ち、関節が容易く折れ、小さく畳まれてしまいそうで怖かったのです。いずみと過ごした日々がポケットサイズに縮小され、持ち歩けるようになったらそれこそ僕は終いだったのです。  我が稚拙な文章でいずみのような女性を語ることは難しい。それでも僕は、いずみを書きます。これっきりにしようと思います。  大学生の時分、同期らと新宿でへばるくらいに飲み潰れ、気づけば自分から一人になって、歌舞伎町の隅で吐き気と闘いながら始発を待っていた時、新宿東宝ビルの周辺路地で屯する若い女性が目に留まりました。今ではトーヨコキッズという名称が広がり、刑事事件を起こして巷を騒がせている集団ですが、まあその頃から名称はともかく集落的なものは存在しており、いずみもそこの一員でありました。いずみは孤独でした。周囲は同年代と思わしき人間で溢れ、自撮りをしたり酒を飲んだり楽しそうですが、その瞳は微塵も光を受け入れず、僕はいずみに、高校時代の己の影を観ました。仲間に恵まれ、有意義に日常を謳歌している風に映した虚無。乾燥した笑い声が嫌に耳残りで、空疎な心を埋める方法が分からず近くに他人を置いておく。他の術がわからない。その渇きが病気の種だともつゆ知らず、僕はただ、知人らに人生の幸福指数をいじらせていたのです。無意識に、選択権を持たせていたのです。  ああ、可哀そうだ。彼女はきっと待っているんだ。酔いどれの僕は、いずみに説教をしてやりたくなりました。きっと僕より若いであろう彼女が、こんな場所で、くだらない連中と過ごすことに意味はないと。外野の悪です。今思えば僕には自分の理解できないことに対して棘を向ける洗練されたナルシズムがあって、おかげでいずみとも出会えたわけですが、こういうナルシズムはもう勘弁です。本当の馬鹿というものは、自分が馬鹿であることに一生気づけないものです。僕は作家という夢を追う道半ばで、自分が無能だということ、凡才だということに気づきました。その時、全てのナルシズムが消滅し、自己嫌悪だけが手に残ったのです。この夜も、同期らと酒を飲みながら取れなかった文学賞のことだけを嘆き、何もアイデアが浮かばないから一人で新宿に残ったのでした。このトーヨコ界隈をテーマに一作書いてみよう。しめた想いを腹に据え、いずみが一人でタイルに腰を下ろした時に近づきました。隣に座って、徐に煙草を取り出します。僕の路上喫煙など目立たないくらい一面にはゴミと騒音が溢れています。月が綺麗な夜でした。ジッポを点火しようと指を滑らすと、突風が北から吹いて炎が激しく揺れました。と同時に、鼻腔が閉鎖するほどの悪臭がしました。いずみの匂いでした。十一月という晩秋に、汗の酸っぱい香りと、女性の、これはさすがにやめましょう。とにかくきつい匂いでした。何日か風呂に入っていない、もしくはろくに服を洗っていないのかもしれません。しかし彼女はその異臭とはうってかわり、とても綺麗な顔をしていました。油絵の如く厚く塗られた化粧と、量産型と呼ばれるファッション。顔を覆う重たい黒髪が邪魔をしていましたが、吊り目気味の瞳は琥珀を捉え、唇はやや薄くも健康的な桃色を宿し、何より鼻の筋がうんと通っていました。肌も白く、表情は常に女優みたいに巧みな哀愁をまとっています。  僕が隣に居座って煙草を吸っても、彼女は動じずにスマートフォンをいじっていたので、「君、いくつ」と訊ねると、「十七」と答えてくれました。可愛い浮浪者。警戒心は損なわれてしまっているのかもしれない。名前を訊ねても答えてくれませんでしたが、三回目の問いでようやく「イズ」と綽名を教えてくれました。これがいずみとの初めての会話でした。出逢いの夜はこんな感じで、僕は十七歳という若さに怯えながらもあくまで取材、始発までの暇潰しとして、いずみの身の上話を聴きました。ヒステリックな母親と年の離れた優秀な兄からネグレクトを受け、援助交際目的で大久保を彷徨っていたが、一度手痛い失敗をして、結局行きついたのがこの退廃集落だったそうです。ちなみにシャワーは仲間たちと割り勘でお金を出し合いビジホテルを一部屋借り、ローテーションで肌寒い季節は三日に一回浴びると言っていました。その貧困にあてられてしまい、僕は一万円札を財布から取り出していずみに個別でシャワーを浴び、服をしっかりと綺麗にするよう言いつけましたが、いずみはその金を自分の為だけには使えないと目を細めました。優しい子なのです。縦社会、規制のない自由な界隈で、ただ同志を想い一万円を分配しようとする良心。僕は泣きそうになったので(明らかに酔っていました)、更に追加で一万をいずみに握らせ、「お仲間の分」と笑って渡してやりました。いずみがはしゃぎ、仲間を連れて僕の周りに集まります。皆、僕より若い男女でしたが、その晩僕は彼女らから「神」として崇められました。飲みたくもないエナジードリンクを二万円の返礼として受け取り、「また来るよ」なんて嘯いて僕は乳白色の路地を背に始発で帰りました。  それからの日々、僕はいずみのことが心配でなりませんでした。何をしてもいずみが浮かんできてしまうので、翌週には再びトーヨコへと向かい、僕は屯集団の長らしき男にいずみを借りると告げて、彼女を連れ出しました。いずみも僕の再来を大いに喜んでくれました。僕は貧相ないずみを狭い自分の部屋に泊めて、服や食事を買い与えました。親に勘当され、見捨てられたいずみは僕を兄のように慕ってくれたし、一人っ子の僕もいずみを妹みたいに愛しました。大学生が少女一人を養うにはかなりの苦労を強いられましたが、おかげでいずみが部屋にいるからと外で泥酔する機会も減りました。いずみに自我はなく、僕に染まるだけの愚かな女でしたが、僕がまれに酔って友人を部屋に連れて帰ると、まるでいずみは妻のような立ち振る舞いをするようになっていました。  僕は指一本いずみに触れたことがありません。それでも僕の知人らは、僕を変態、悪趣味だと揶揄しました。善行でしかない。僕にとっていずみとの生活は、慈愛の一心のみで行われた清いものだったのです。しかし、神による退廃少女救済の日々も、一般からすれば色恋の不埒にしか認識されないと思うと、怒りと寂しさで泣きそうになりました。お前らのような一般が、いずみを苦しめたんだ。僕らはここに二人、安全に暮らしているんだ。気持ちの悪い裁量で測るな。恋に蝕まれた哀れな一般。まるで温い炭酸水みたいな、気の抜けた一般。  三月、いずみは十八歳になって、新宿のコンセプトカフェでアルバイトを始め、給与のほとんどを僕にくれるようになりました。共同生活における金銭的な余裕が増えた僕は再び外でも家でも酒を飲む機会が増えました。酒はやっぱり駄目でした。感情の発露が増え、僕は雨が降ると泣いたりするような絶望の春を迎えました。そんなとき、いずみは青い苺ミルクを作って僕に飲ませてくれました。サイレースでした。いずみがトーヨコ時代に長らから教わったものでした。僕らは軽い中毒になって、真っ青な舌を見せ合いながら笑いました。団欒でした。盛り上がる内容はもっぱら親や友人、教師や社会の悪口でしたが、そこには少なからず平和が実現されていたのです。  僕はただ、いずみの幸福を祈りました。  いずみは僕に様々な回避を教えてくれました。薬によるオーバードーズ、手軽な自傷と希死念慮は全て、いずみから教えてもらったものです。お礼に彼女は僕に恋を教えてくれと頼みましたが、それを知りたがられても、僕は教えてあげることができませんでした。僕にだって、恋がわからない。だから代わりに煙草を教えました。僕の吸っていたキャビンレッドの八ミリが、いずみの愛煙銘柄になりました。いずみが初めて喫煙をした夜、なぜかキスをしてしまいました。彼女にそのようなことをしたのは、それが最初で最後です。酒と薬で四度吐いて、喉が焼け切れてトイレに血を吐いた晩でした。いずみは泣いて、僕の身体に腕を回します。傷だらけの手首。隈の深い目元。病的に細い、骨ばった彼女が震えて泣き、「こんな風に出会わなければ、恋人にもなれた」と莫迦なことを言い出しました。失望しました。いずみは経験がないから、恋に無知だから、間抜けな希望を持っているのです。しかし、僕はどうしようもない屑なのです。僕がいずみを愛する理由は、彼女が余白まみれだったからなのです。僕の利己心をいくら書き殴っても、彼女の人生、思想が無理に干渉してこないことに楽さを覚え、救済とは名ばかりの、自己満足でいずみを迎え入れたのです。そう考えると、一般のように恋や性愛でいずみを見る方がまだ幾分か健全だったようにも思えてきました。僕はただはっきりと、いずみに「妹に恋をする兄がいるか」と言ってやりました。彼女はボロボロの歯を見せて笑い、寂しさを紛らわすみたいに煙草を蒸かし続けました。それから、いずみは自殺しました。八月、僕と一緒に湯河原まで小旅行へ赴いた際、二人で飛び降りようと決めたのに、僕だけが怖気づいていずみが落下していくのを発狂しながら見下ろしていました。フェンスがゆがむほど力強く握り、奈落に呑まれていくいずみの表情を見届ける僕。最低でした。ああ、さすがにここを細かく描写することはできないので、いずみが死ぬ直前に話してくれたことをそのまま書きます。 「小さい頃にね、私、ピアノ教室に通ってたの。教養的な名目で女の私にはピアノ、兄貴には空手を両親は習わせてた。あの頃はまだ私も家族として扱われてたから、ピアノは英才教育でうんざりだったなあ。お母さん、昔ピアニストになりたかったんだって。だから通わせるピアノ教室もお母さんと面識がある腕利きのプロが経営してるがっつりな場所だったから、本当きつくて。放課後、友達がアスレ鬼するのを横目に、毎日レッスンだよ。おかげさまでピアノの腕だけはメキメキと上達して、連合音楽会も卒業式も伴奏は私が担当したよ。正直やりたくなかったけど、皆に褒められるのは悪くなかったかな。なんかさ、私ってすごい単純な生き物だから、お父さんが自殺してお母さんが壊れてから、ピアノ、必死に頑張ったんだよね。お母さん、大丈夫。私がいるよ。お母さんの願いを叶えるよ。理想の娘になるよ。そんな意味合いを込めて、あの人の喜ぶ顔が見たくて必死だった。でも、私が家で鍵盤に触れると、煩い! って打たれるようになったし、ピアノ教室も辞めさせられたし、とち狂ったあの人、私の指を捻挫するくらい曲げたりもしたんだよ。ピアノにに触るなって、怖い顔で私を睨んでた。兄貴から後々聴いたんだけどね、お父さん、死ぬ直前まで私が通ってたピアノ教室の先生と不倫してたんだって。そりゃあ壊れるよね。でもさあ、それって私に何も関係ないじゃん。お父さんが不倫したことも、お母さんが嫉妬に狂ってるのも、ピアノも、私が望んだことは一つもない。それなのに私は不利益を被ってる。ふざけんなって気分だけど、人生ってそんなもんだよね。生きるってさ、こっちが選択して継続できる行為じゃないんだよね。あなたは私に出逢わなければ死のうなんて思わなかったでしょ。どれだけ苦しくても、生きるという選択肢から逸脱することはなかった。こんな場所に並んで立つこともなかったのに、私があなたの中に死ぬという選択肢を与えたんだ。個人が持つ選択を、他人に伝播させながら巻き沿いにしていく、迷惑極まりないのが私。でもありがとう。私、あなたに出逢わなければこんな気持ちで死ねなかった。作家になる夢、叶えさせてあげられなくてごめんね。最低だね。だけど私、もう限界だったから。来世はこんな風に出逢わないで、ちゃんと生きれる二人で会おうね。そしたら恋も煙たがらずしてね。結婚もしようね。大好きだよ、私の神様」  いずみの死後、僕は警察に自首し、自殺幇助罪という名目で留置所に拘束されましたが、いずみの持ち物から発見された遺書らしき書き残しにより、実際は片山いずみから僕に対して自殺教唆があったということで保釈されました。前科はつきませんでした。僕は、いずみを売ったのです。死ぬつもりで二人、あの場に上ったはずだった。僕は呪われて然るべきだ。この痛みも全て、抱えて生きていくと決めました。  どうしてあの場で死ななかったのか。はっきり言いましょう。僕はいずみという女性を裏切ってでも、作家になりたかったのです。だからあの夜、死ぬことができなかった。自分一人でも踏み止まった選択を誇らしく思えたら、一般のように「生」イコール「善」と馬鹿になれたら、どれだけよかったことでしょう。僕はあれからずっと、あの日にいずみと死んでおけばと常に後悔を反芻しながら小説を書いています。  今日はいずみの命日です。八月四日。何の所縁もない日に彼女が死んで、僕にとって八月四日は意味を持ちました。彼女は生前、浴衣を着て夏祭りに行ってみたいという願いを漏らしていました。病的に肌が白く澄んだいずみには、淡い青色で、朝顔の柄が入ったものが似合うような気がしています。  さあ、僕はいずみについて、上手に小説を綴ることができましたでしょうか。美しい花に見合う花瓶を用意することは間に合わず、罅割れた安物で今は勘弁してください。今は、というのは嘘です。もう、片山いずみで作品を書くことはありません。惜別の情を、此処に記します。
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