処女論

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処女論

 君は果たして、己のヴァージンを克明に語ることが今でも可能であるか。寸分の狂いもなく、汗一滴の見当違いも起こさず、畏怖も好奇もべらぼうに入れた酒の金額も、或いは恋愛というサンクコストの概算も含めた全てを、紙とペンをやるから今スグここに書き起こせと言われ、君は生唾を呑むことなく綴れるか。初めに言う。私には不可能だ。感覚として、私が処女を失う前後で私の人間性や、指向性、哲学や目つき、味の好みと寝ぐせの付き方まで変わっている自覚はある。しかし、私の指は震えるだけで何も書けやしない。ただ一つわかるとすれば私は処女を失ってから今の今まで退廃を過ごし、現にお喋りが喧しいだけの糞袋と化してしまったのだ。私は人が嫌いだ。特に年下の人が嫌いだ。私は学がなく、誇れるようなトロフィーも持ち得ない無能であるし、私の容姿は醜いだけで微塵も絵にならない。声も人を苛つかせるノイズで、一銭の価値もない。私の顔はひっくり返ったゴキブリの腹みたいな複雑さの醜悪で、退屈な単色であるのに、年下の人は皆盲目であるのか、私のことを神様だとか、尊敬できるとか、余裕があるとか言って身体をすり寄せてくるもので、私ほど堕落した人間には拒否する権利もなく、仕方なく、本当に仕方なく、その年下の人を抱くことで私は好意が殺意に激情変化するのを抑えているのだ。そうしていると私の処女は段々と濁り、筆を洗うバケツのように汚く黒ずんで、形容の困難な水を泣きながら排水溝に流し、再び筆を洗う為に東京の水道水をバケツに注ぐのである。嗚呼、私は何も望んでいないのに、周囲は私を人誑しだと揶揄し、悪者に仕立て上げて、いつか都合が悪くなったら仲間外れにしようといつも目論んでいる。躁鬱や統合失調もなく、病の人よりも臆病に育ち、同情の余地もない耽溺で最悪な下等生物。  そんな私が処女を差し出したのは、希死念慮の強い人物だった。私は自死に自己理論が伴わないので、自ら命を絶つ選択肢を持ち得ない。相手は私から処女を奪いつつ、私の生気を吸い取ろうとしたが、これだけの愚者、生きる力だけでここまでやってきたのだ、自殺志願者に脳が犯されるほどの聡明さを私は持ち得ていない。右脳がきっと腐っているのだ。結局私の処女を奪った相手は死んだらしいが、私はとことん阿呆なので、他人の死に感傷的になって死ぬるほどの劇的すら演じることはできず、今晩ものうのうと、排他的に、作業的に、腰を振るだけの半機械な生活である。  あれ、意外と私は己のヴァージンについて克明に語ることができているかもしれない。処女喪失とは、私が私の肉体の所有欲を放棄することではあるまいか。知ったような口をきいてすみません。とにかく私は明日も、強く生きよう。莫迦にはそれくらいしかやることがない。甘い語彙を辞典や文学で拾い集めて、今晩の逢瀬に備えるぐらいしかやることがない。苦笑。
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