第一話 旧家の掃除をします

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第一話 旧家の掃除をします

 祖母が死んだ。  九十三歳まで生きたので、比較的長生きした方なのだと思う。  日本舞踊を習っていた祖母は、五年前に脚の手術をして、もう二度と蝶のように舞うことは出来なくなった。甲斐甲斐しくその世話を請け負っていた祖父が亡くなると、ついにピシャッとしていた背筋も曲がってしまい、みるみるうちに衰えていった。  東京に出て来て十年と少し。  大学入学を機に上京した私は、そのまま都内の中小企業に事務職として入社した。べつに大手ではないけれど、なんとなく居心地が良かったし、普通に女一人が生活できる程度にはお給料をもらえたのでズルズルと居座っている。転職者が多い社内で、新卒入社の自分は気付けば結構な古株になってしまった。 『旧家の掃除、お願いできる?』  電話でそう頼んで来たのは母だった。  子育てを終えてカメラにハマった彼女は、今や日本全国を飛び回って写真を撮っている。新聞社かどこかが行うコンテストで入賞したのをきっかけに、ヤル気に火が付いたらしい。  ちょうど有給も余っていたし、年末年始の休みと合わせれば二週間ほど休むことが出来る。  私は二つ返事で了承して、忙しい両親の代わりに祖母の住んでいた四国の旧家へ出向くことになった。 (でも、未だに現実味ないな………)  一週間前に葬式のため帰省した際に乗った電車に、また同じように揺られながら橋を渡る。  閉鎖的な田舎を嫌う両親は今では四国を出て本州で生活していて、祖母は晩年一人で旧家を守っていた。こうして考えると立派なことだと思う。同時に、自分の親の無責任さには少し呆れた。  しかし、それは私だって同じこと。  東京に出たっきり、実家には年に一度帰るかどうか。 「親孝行は生きてるうちに」と言うけれど、私はこのままだと両親の亡骸を前に後悔するのだろうか。いずれ訪れるその時を思うと、背中をヒヤリとした恐怖が撫でた。  電車を降りてバスに乗り換えて数十分。  旧家は、変わらない姿でそこにあった。 「お邪魔しますよーっと……」  誰も居ないと分かっていても、鍵を解錠して玄関の引き戸をガラガラと引く時は緊張が走る。  懐かしい、祖母の匂いがした。  線香や畳の混じったその匂いは、私の心をパリッとさせる。「しゃんとしなさい」と叱責する祖母の声が聞こえて来そうだ。  重たいスーツケースは脇に寄せたままで、靴を脱いで家へと上がる。廊下を進んだ先にある和室に、祖母の仏壇があることを私は知っていた。 「………おばあちゃん、帰ったよ」  聞こえているだろうか。  祖父と二人で、見てくれている?  並んだ二つの写真立ての中で微笑む祖父と祖母の姿に目を遣る。夫婦は歳を取れば似てくるなんて言うけれど、あながち間違いではないと思う。こうして見ると、二人は似ている。  先ずはどこから始めようか、と掃除道具を探しに行こうと立ち上がった際、仏壇の後ろにこんもりと溜まった埃を発見した。ギョッとして近寄ってみると、数センチ開いた隙間に綺麗に灰色の絨毯が敷かれている。 (お母さんたち…気付かなかったの?)  四十九日をこの家で行うから、と遺品整理も兼ねて駆り出されたのは良いけれど、田舎の家というものは例外なく大きい。この広さを高齢の祖母が一人で掃除出来なかったのは仕方がないとして、その一人娘である母はたまに訪問した時に手伝わなかったのだろうか。  見つけてしまったものは放置出来ないので、よっこらせと仏壇を押して移動する。  すると、どういうわけかそこには小さな扉があった。  ちょうど仏壇で隠れるようになっていたようだが、大人一人が腰を屈めてなんとか入れる程度の扉。鍵もないので興味本位で手を掛けて引いてみる。  中は押入れのようになっていて、奥へ行くほど薄暗い。  懐中電灯を持って来るべきだろうか、と思いながら持ち前の面倒臭さが先行したのでとりあえず進む。  和室から入る蛍光灯の光を頼りに一メートルほど進んだところで、前方でカサッと動く音が聞こえた。  頭を過ぎるのは、黒い翼を携えたあの、虫。 「んぎゃーーー!!!……ったぁ……!?」  大声を上げた表紙に低い天井で頭を強打する。  お星様がクルクルと舞いそうな痛みに目をギュッと閉じて、身を屈めた。懐中電灯を持って来ていたら。私が不精をするからこんな目に遭うのだ。  痛みが和らぐのを待って、ゆっくりと目を開ける。 「…………え?」  そこは、もう暗闇ではなかった。  ドンチャラドンチャラと何かの音楽が鳴り響く中、多くの人が忙しなく行き交っている。 (あれ?…人、じゃない……?)  よくよく見ると、何かおかしい。  どういう罰ゲームか裸に近い格好に全身を真っ赤に塗られてトラ柄のパンツを履いた男と目が合った。これは俗に言う「変態さん」なのでは。  男は私と目を合わせたまま、ズンズンとこちらに近付いて来る。見た目のヤバさと目力の強さで私は腰が抜けた。自慢の俊足もここでは活かせない。無念。 「お前……人間じゃないか?」  オマエニンゲンジャナイカ。  これって私に聞いているの?  え、この変態は私に話しかけてる? 「に…にんげんで、」 「閻魔(えんま)様ー!やべぇです、人間が来てます!」  私が答え終わる前に赤鬼男は大声で叫んだ。  エンマサマって言った気がしたんだけど……  赤鬼男が呼んだ数秒後、ドスンッと地面が揺れた。  私は恐る恐る振り返る。映画とかだとだいたいこういう時は背後を振り向かない方が良いけれど、人間には条件反射というものがあるので私の身体は素直にそれに従ったわけで。 「おいおい…女じゃねぇか。嫁入りに来たのか?」  地を這うような低い声に心臓が縮むのを感じる。  視線の先では、白い着物に赤い羽織りを羽織った男が私を見下ろしていた。 ◆作中の旧家は主人公が子供時代に住んでいた家、という意味で使用しています。
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