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第九話 お局です
「あーら、小春ちゃん!遊びに来たの?」
「八角さん!いえ……今日は仕事で…」
出会えた喜びの笑顔から一変して、しょぼんと落ち込む私を見て八角は笑う。
相変わらず滅茶苦茶イカつい見た目に反して、八角さんからは今日も乙女の雰囲気が溢れている。大きな大根を担いでいるからどうしたのか聞くと、今日はブリ大根を作るのだと教えてくれた。先日の閻魔との会話もあったので「食べて行く?」という誘いを丁寧に断った。
「小春ちゃん、なんか良い香りがするわ」
「良い香り?」
「うん。石鹸みたいな清潔な……」
「あ、実はお風呂に入って来たんですよね。お化粧もせずにごめんなさい」
「あらまぁ、そうなのね!」
驚いて口に手を当てる八角と他愛もないお喋りに花を咲かせていたところ、後ろからゴホンッと咳払いがした。
振り返ると、小柄な老婆が立っている。
「鈴白様!もう出勤されたのですか!?」
慌てふためく八角を睨み付けて、老婆は「お前さんの声が大きくて目が覚めたんだ」と呟いた。眉間に刻まれた深い皺と年齢の割に鋭い眼光に、思わず私は息を呑む。
「アンタかい?閻魔の使いっ走りってのは」
「は…はじめまして!小春です」
「ああ。私は冥殿を管理している鈴白だ」
「うふっ、御局とも言うのよね?」
「八角!さっさと仕事に戻んなァ!」
怒号が飛んですぐに八角は逃げるようにその場を去った。私は大根を担いで走り去る八角を見送って、鈴白に視線を戻す。
六十代ぐらいだろうか。
綺麗に着物を着こなして、背筋がシャンと伸びたその姿は、どことなく祖母と重なった。踊りを趣味としていた祖母もまた、こうした凛とした佇まいだったから。
「あのクソガキは?」
「クソガキ……?」
「閻魔だよ、閻魔。まったく女ばっかり冥殿に招き入れやがって、こっちは八角みたいなパワーがある男がほしいってのにさ」
訂正、祖母はここまで口が悪くなかった。
鈴白はどこからか取り出した煙管を蒸す。もくもくと広がった煙に私が咳き込むと、まったく詫びていない顔で「悪いね」と短く言って退けた。
「あの、今日は…閻魔様から冥殿の手伝いをするように言われて私だけここに来ました」
「ふぅん…年末なんで猫の手でも借りたいぐらい忙しいっちゃあ忙しいが……あんた、寒いのは平気かい?」
「………?……ええ、まぁ」
なるほど、と一つ頷いて鈴白は「付いてきな」と言う。
小さな背中を追い掛けて冥殿の中を進むこと五分。以前、宴会の日に発見した中庭に私たちは立っていた。
「中庭の枯葉拾いと、池の水の入れ替え」
「え?」
「返事はハイだよ!」
「はいっ!」
最近の若いもんは返事が出来ない、とブツクサ言いながら鈴白はその場を去ろうとする。私は慌てて道具の収納場所と終わったら誰に知らせれば良いか聞いた。
鈴白は不機嫌そうに道具の収納場所を指差し、終わったら誰でも良いから冥殿で働く者に知らせろと指示を出した。私はおずおずと頷いて見せる。
(………たしかに、御局…)
聞こえないように心の中で呟いてから、荒涼とした中庭を眺めてみる。美しい庭園も、少し人の手が離れて放置されれば一気に荒れ果てる。造形は素晴らしいものの、ところどころ落ち葉の山が出来ているから、来客が目に止めて溜め息を漏らすほどではない様子。
鯉が泳ぐ池の水も、たしかによく見れば少し濁っているように感じる。何から始めようかと目を閉じて、とりあえず身体を動かすために枯葉の収集から手を付けることにした。
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