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第十話 おやつをいただきます
どれぐらい時間が経ったか分からないけれど、大きなゴミ袋三袋に拾った落ち葉と池の中の屑を入れた時には、しっかり疲れが身体に蓄積されていた。
真っ黒になった両手をどこで洗おうかとキョロキョロしていると、忍び足で近付いてきた八角を発見する。
「小春ちゃん、お疲れ様!おやつ食べない?」
「おやつ…ですか?」
「余ってたお餅を焼いて海苔で巻いたの。どう?」
小腹にちょうど良いわよ、と笑顔で言う八角を見て、私は狼狽えた。冥界で出された食べ物や飲み物の味を、私は感じ取ることが出来ない。それはもう努力でどうこうなる話ではなく、閻魔曰くそういう原理らしい。
だけど、こんなにニコニコと誘ってくれる八角を悲しませたくない。私が遠慮がちに頷くと、八角は「内緒だからね!」と彼にしては小声の大きな声で嬉しそうに言った。
味は分からなくても、優しさは理解出来る。
私は八角の気持ちに応えたい。
案内された厨房は広く、こんなに広い場所で一人で何十人分もの食事を調理する八角を素直に尊敬した。私がその感想を伝えると彼は「宴会の日は手伝いが少し入るから」と照れたけれど、綺麗に磨き上げられたシンクや美しく並んだ道具類はきっと八角の性格を表している。
「すみません、私…手が……」
「あんら!こっちで洗っちゃって!」
ささっと手を洗い、差し出されたタオルで拭く。
八角が用意してくれた白い皿の上には、こんがりと焼き目が付いた白いボディに醤油を少し被り、仕上げに海苔で巻かれた餅が載っていた。
「美味しそう~~!!」
「アタシと小春ちゃんの秘密よっ?」
「はい!」
コクコクと頷いて、大きく開いた口に餅を入れる。
うん、美味しい。すごく美味しい。
味が分からなくても、もっちりとした弾力やパリッとした海苔の食感は分かる。なにより、こうやって誘い合ってこっそり食べるおやつの美味しさを、私は知っている。
厨房の隅で二人で三角座りをしながら、私は八角と各々のことを話し合った。
「えー!八角さんって大工だったんですか?」
「んもうっ!昔の話よぅ~」
「でも、職人さんだったからきっとお料理も繊細で素敵な味を表現出来るんだでしょうね」
「小春ちゃんったら褒めすぎ!」
まんざらでもない様子で顔を赤らめる姿が可愛らしい。
「小春ちゃんはどうして閻魔様の元で?」
「あ、私は契約を結ばされてまして……」
「契約?」
「はい。人間界から変な縁でここに迷い込んだんですが、口外禁止のためにタダ働きを強いられてるっていうか…」
「あらあら……なんだか可哀想ねぇ」
同情の目を向ける八角は突然「そうだ!」と言って立ち上がった。私はその勢いに驚いて少しビクッとする。
片手を腰に当てた八角はキラキラとした目で私に顔を近付けた。自信ありげな様子の彼から、いったいどんな言葉が飛び出してくるのかと私は息を呑む。
「契約書、探せば良いんじゃない?」
「はい………?」
「だーから、契約書を見つけて文言を書き換えちゃえば良いのよっ!閻魔様だって毎日たくさんの書類を目に通してるし、冥殿の愛人たちともいっぱい契約交わしてるから、小春ちゃんとの契約内容が少し変わっても分からないわよ」
少し、の範疇が気になるところだけど、契約書は確かに私もこの目で見てみたい。もしかすると、誤字があったり、何かの手違いで生じた契約の粗を探し出せるかも。
「八角さん、私……やってみます!」
「その調子よっ!」
バシンッと強烈な気合いを背中に入れてもらって、先ほど食べた餅が食道を戻って来そうになったけれど、寸前のところで堪える。
契約書の確認、なかなか良い考えだ。
問題はそれが何処にあるか。
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