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第十七話 浅はかです
「一条!ごめん、道が混んでて」
「大丈夫。こっちこそごめんね、お迎えまで」
白いミニバンの扉を開けて誘導された助手席に乗り込みながら、私は緊張していた。
お互い最後に遊んだのはもう何十年も前だし、幼馴染といって良いものか微妙なラインだ。背も伸びて声も変わった旧友は、もはや知らない他人のようで。
「近くの神社は年越し何もしないでしょ?だから、調べてみて、隣町まで行こうと思ったんだよね」
「わぁーありがとう。私何も知らなくてごめん」
「良いんだよ、俺が誘ったんだし」
この笑顔の菩薩たるや。
どこかの誰かとは大違い……
と、考えたところでこの期に及んで閻魔にムカついている自分に呆れた。冥界であったいざこざは夢みたいなもの。現世に帰って来てまで引っ張ることはないし、馬鹿らしい。
私は頭を振って、車内に流れる軽快な音楽に耳を傾ける。最近流行りの明るい女の子の声が、ざらついた思考を掻っ攫って何処かに流してくれるみたいだ。
「一条は、変わってなくて良いね」
「そんなことないよ。もう、ちょっと働いただけで身体はバキバキだし、すぐ疲れちゃう」
「いやぁ。ちゃんとお洒落してるし偉いよ、女って結婚して子供産んだら性別なくなるってマジだから」
「………?」
信号が青に変わって、車はまた走り出す。
流れる道路の上を魚みたいに連なって、決してはみ出さずに進んで行く。私は頭の中に砂が入ったみたいに思考が鈍くなるのを感じた。
流行りのポップな音楽に乗って歌う女の子が「恋せよ恋せよ」としつこく繰り返している。まるで一人で居るのは罪と言われているようで、私はこのまま目を瞑りたくなる。
目を瞑ったら良い。
そうすれば、寂しくはないのに。
「あのさ……」
ハンドルの上でリズムを取る左手を見た。
薬指には何もない。
大丈夫、だけど心がザワザワする。
「圭くんって、結婚してる…?」
「あれ、言ってないっけ?」
ケロッとした顔で認められたから私は返す言葉を失った。当たり前のように独り身だと思って誘いに乗った自分も馬鹿だと思う。迎えに来てくれて舞い上がったことも今なら認める。
べつに初詣に行くだけ。
自分を言い聞かせることも出来るけど。
「ごめん……私やっぱり今日は帰る」
「え、なんで?せっかく来たのに」
「結婚してるなら相手に悪いし、失礼だよ」
「はぁ?ノコノコ着いてきた奴がそれ言う?」
「………ごめん、私が浅はかだった」
車は数メートル進んで停車した。
ドアを開けて、何もない田んぼ道に降り立つ。
「お前ほんと調子乗ってんなよ。大人なら割り切れよ」
「大人だから帰るんだよ。家族大事にして」
「あーだる。ここまで来たのに、」
「田舎ってさ、狭いから。私に文句言うのは良いけど、発言には気を付けた方が良いよ」
「………っ!」
焦ったように扉を閉めて、ミニバンは颯爽と闇に消えた。
タクシーどころか車も通らない細道をトボトボと歩く。こんなことなら冥界の宴会に顔を出せば良かったな、と頭の隅で後悔する私は随分と身勝手で狡い女だろうか。
馬鹿みたいに気合いを入れて着てきた薄いワンピースは全くもって防寒性など持ち合わせていないから、裸で歩いているようなもの。このままでは年始早々に風邪っぴきというのも有り得るな、と思いながらくしゃみをした。
結局、家に到着するまで二時間掛かった。
タクシーに遭遇するまで一時間。
暗い夜道を迷った運転手と共に家を目指して一時間。
身体はブルブルと震えるし、お酒でも飲んで暖まりたい。しかしとても残念なことに、甘酒と葛湯はあっても酒は備蓄していない。スーパーで買い込んでおけば良かった、と後悔してももう遅く。
(………そういえば)
思い出すのは三叉の酒造。
あれだけの多様な酒が今日は冥殿に集まっているなら、きっと用意されたご馳走も大層なものだろう。冥界では味覚が分からない私だけど、アルコールで酔うぐらいは出来るのかもしれない。
しかし、ここで行くのは恥ではないか?
鬼たちに対して「予定がある」と宣言して早々に帰ってきた手前、また姿を見せるのは恥ずかしい。そこまでの図太い神経は持ち合わせていないし……
でもでも、考えてみれば。
これは勤労感謝的なイベントでは?
だって一年に一度のお祝いなわけだし、鬼たちをはじめ、三叉などの普段は顔を見ないメンバーも冥殿に集まるわけだ。そこに一匹ぐらい人間界からネズミが紛れ込んでいても、天下の閻魔様は怒らないかも。
八角と鈴白に契約書問題の落とし所についても報告したいし………
私は数秒悩んだ末に、凍える身体を縮めて仏壇の後ろへといそいそと近付いて行った。
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