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第十八話 アルコールです
落ちた先には、珍しく誰も居なかった。
皆揃って宴会に出払っているのだろうか。いつものドンチャンした音楽も聴こえないけれど、遠くの方に目をやると冥殿の方角はほんのりと明るい。
入り口で入場を止められたらどうしよう、と思いながら歩いているとタイミングよく門の外でウロウロする青鬼を発見した。小さな黒目が私を発見して驚いたように広がる。
「小春じゃねぇか!」
「えへへ、ごめんなさい…来ちゃいました」
聞くと、宴会の日は冥殿の門番も飲んだり食べたりの会場に足を運ぶそうで、警備が手薄になってしまうため、青鬼が毎年自主的に見回りをしているらしい。
「あなたすごいね。徳を積んでるから死後は極楽だよ」
「馬鹿、俺はずっと地獄だっての」
「そういえばそうか……みんなは中に?」
「おう。黄鬼が飲みすぎてるみたいだから近付くなよ」
親切なアドバイスに感謝を示して、門を潜る。
建物の外に微かに漏れていた祭囃子は徐々に大きくなっていて、中心となっている宴会場がすぐそこまで迫っていることを教えてくれている。ここまで来てまた緊張がぶり返してきたので、私はもたつく両脚を叱責した。
どこからか笛の音も聞こえる。
澄んだ夜の空気を切り裂くように、高い音色がヒュルヒュルと風を切る。いつもどんよりと分厚い雲が立ち込める冥界だけど、夜だけは別のようで、冷たい空気が心地良い。
(…………わぁ、)
少しだけ開いた襖の隙間から中の様子を盗み見ると、白装束の衣装を着て蝶のように舞う人の姿を見つけた。顔には恐ろしい般若の面を付けているけれど、その動きは重力なんて感じていないみたいに軽々と美しい。
何にも縛られず、飄々と。
ふわりふわりと移ろい舞う。
揶揄うように笛を吹く男に近付いては、すぐにまた舞台の中央へ戻ってしまう。太鼓の音が胸を揺さぶるから、私は右手でグッと心臓を押さえた。こんな風に力強く舞っているのに、どうして儚く感じるのだろう。
「お、小春じゃん!」
「っふぁい……!?」
突然背後から声を掛けられて変な声が出た。
振り返るとビール瓶を片手に赤い顔をした黄鬼が立っている。青鬼から受けた親切なアドバイスを思い出しながら、私は慎重にその酒臭い鬼から距離を取る。
「お前さては暇になったんだろー!」
お馬鹿なくせにこういう時だけ無駄に勘の良い黄鬼の指摘に顔を顰めつつ、私は八角や閻魔の居場所を問う。聞けば八角は厨房で修羅のように魚を捌いているらしく、閻魔に関しては黄鬼は黙って宴会場の中を指差した。
私は視線を再び部屋の方へ戻す。
「閻魔様なら居たろ、さっきまで」
「え?」
「舞を踊ってただろう?」
記憶を辿ってハッとした。
そういえば、閻魔が宴会で宴を踊ると教えてくれたのは鬼たちではないか。私はうっかりそんなことも忘れて彼の踊りに魅入っていたのだ。
ゆらりゆらりと舞う白い衣を思い出す。凛とした祖母の日本舞踊とは少し違って、閻魔の踊りは笑っているみたいだった。手を伸ばせば消えてしまう、幻想的な蝶。
「八角さんのところ行って手伝うことあるか聞いてみる」
「やめとけ!あそこは戦場だぞ!」
「そうなの?」
聞くと今日の八角はいつもの穏やかな乙女喋りも忘れてドスの効いた声で怒鳴り散らしているらしい。見てみたい気もするけれど、邪魔になりそうなので遠慮した方が良さそう。
「三叉さんと話してみたらどうだ?」
「ああ、お酒の!」
今日の目的はアルコールの摂取なので、私は黄鬼の誘いに乗って広間へと足を踏み入れた。始まって既に時間が経ったためか、ドンチャン騒ぎは収拾が付かないぐらい盛り上がっている。遠くの方で静かにお猪口を煽る鈴白の姿が目に入ったから、私は控えめに会釈してみた。
見たことがない人がたくさん居る。人、と言って良いのか分からないけれど、パッと見は人の形態をしている彼らがあやかしなのか人間なのか、私には知る由もない。
舞を終えた閻魔は何処かへ引っ込んだのか、見渡す限りに姿は見えなかった。
「三叉さん!」
升に酒を注いで粋な飲み方をしている三叉は、黄鬼が声を掛けると愛想よく笑顔を見せる。ポンポンと叩いて隣に座るように誘ってくれたので、私は黄鬼と並んで着席した。
机の上には錦糸巻きや紅白のかまぼこが詰められた御重があり、煮立った鍋からは大きな蟹の足がはみ出している。味は分からないと理解していても、思わず生唾を飲んだ。
「俺の隣に来たってことは、そういうことだよね?」
黒い笑みを見せた三叉は新たに二つの升を取り出して、トクトクと瓶から酒を注ぐ。私はすでに赤くなった黄鬼と顔を見合わせて、終わりのない飲み会が始まったことを悟った。
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