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第七話 食します
「んあぁ~~はったらいた~~!!」
肩バッキバキの腰ボッキボキ。
気圧の問題なのか、常時流れる賑やかな音楽のせいか分からないけれど、冥界での労働は異常に身体に堪える。これで無賃だと言うのだから、本当に閻魔様は憎たらしい。
またエッチなビデオを見ていたら困るな、と思いながら恐る恐るノックしたところ、同じようにげっそりした顔の黄鬼が出て来た。どうやら今日は仕事をしていた様子。
「……は…はらへった……」
「私も…閻魔様にタカリに行きましょうよ」
「お前上司を何だと思ってんだ。またブン投げられたら今度こそ角折れるわ。だいたい茶の一杯も出してくれない閻魔様が奢ってくれるわけ…」
饒舌に喋っていた黄鬼が急に黙ったので、首を後ろに倒してみると恐ろしい顔でこちらを見下ろす閻魔様が居た。
神出鬼没とはまさにこのこと。
「茶の一杯も出さない俺だが、今日は機嫌が良い。冥殿で飯でも食って行くか?八角も寂しがってた」
「八角さ~ん!良いんですかい?」
喜んで踊り出す黄鬼を一瞥した赤い双眼がこちらを向く。
「小春は?」
「え?」
「お前も来いよ。冥殿に興味があるんだろ?」
圧に押されてコクリと頷いた。
興味があるのは冥殿というよりも、そこに住まう閻魔の方なんだけど。もっと言うと、契約解除に持ち込むための弱点が知りたいだけ。
まぁ、そんなことは絶対に彼相手に言えるわけがないので、とりあえず私たちは閻魔の後を付いて冥殿へ向かった。
◇◇◇
驚くべきことに、次々とテーブルを埋め尽くしていくご馳走はなんとも見慣れたものばかり。
いや、お頭付きの鯛の煮付けや舟盛りの刺身を私が食べ慣れているわけではないけれど、あまりに人間界の食べ物と同じなので我が目を疑う。
「さぁさ、小春ちゃんもいっぱい食べてね!」
箸を並べながら満面の笑みでそう言ってくれるのは冥殿の料理長を務めているという八角さん。
男らしい濃い髭と角刈りにした潔い髪からは想像できないぐらい乙女チックな喋り方をする。絶対良い人。
広い宴会場のような場所には、長い座卓が三つ川の字で並べられており、中央の卓の端には城の主である閻魔が座っていた。その両脇には、いつの間に合流したのか肉感的な美女が待機している。
私と黄鬼は右端の座卓のさらに端っこにちんまりと座って、お呼ばれした客らしく大人しくしていた。初めて見る顔が多い中、にわかに緊張していたので、黄鬼が隣に居るのは心強い。
乾杯の音頭と共に食事が始まると、どれから手を付けるべきか悩んだ。
「小春、俺のオススメは角煮だ!八角さんの角煮はマジで美味い。俺の人生史上一番だね」
「黄鬼くん、貴方は人じゃないよ」
冷静にツッコミながら、勧められた通りに角煮を取り皿によそってみた。ツヤツヤと輝く豚肉に美味しそうに色付く卵の、なんと素敵なことか。
食べる前からすでに白米がほしい。
この黄金色のツユと白米のマリアージュは期待出来る。
箸で摘んだ豚肉にはむ、と噛み付いた。
(………あれ?)
隣で嬉々とした顔で見守る黄鬼が「どうだ?」と感想を求めて来る。私は何度か咀嚼して笑顔を返した。安心したように「そうだろう、美味いだろう」と自分も箸を伸ばす黄鬼を見届ける。
滑る卵を捕まえて、齧ってみる。
コップに注がれたお茶で流し込んだ。
(なんで……?)
味がしなかった。
豚肉も卵も、喉を潤すお茶も。
全部が全部。無味無臭。
まるで空気を食べて水を飲んでいるみたいだ。
水の方がまだマシかもしれない。硬水軟水なんて違いもあるし、臭い水、美味しい水の違いはある。
その後も色々な物を勧められて口に入れたけれど、冥殿で私が食した食べ物はすべて同じだった。明るい声で嬉しそうに「どう?食べてる?」と聞いてくれる八角に申し訳なく思って、私はお手洗いに行くと言って立ち上がった。
フラフラと廊下へ出て、外の空気を吸うために歩いていたら、中庭に辿り着いた。
皆が宴会に駆り出されているためか、美しい庭には誰も居ない。苔が生い茂る岩の向こうには小さな池があって、どうやら鯉が泳いでいるようだった。
(死後の冥界に生きてる鯉がいるなんて…変なの)
プクプクと息をする度に上がる泡を眺める。
何もかも分からないし、日々蓄積される鬼からの情報だけではまだ全然理解が足りない。短期的なバイトだと思って割り切ろうとしたけれど、もう五日目だ。
「宴は退屈か?」
声がした方を向くと、閻魔が立っていた。
「いいえ…ご馳走ばかりでお腹がいっぱいです」
「八角がお前が来ると知って腕を奮ったんだ」
「そうなんですね。どれもすごく美味しくて、」
「味もしないのに?」
驚いて私は閻魔を見上げた。
赤い瞳が真っ直ぐに私を見据えている。
「………知っていたんですね」
「悪いな。お前の反応を試すようなことをして」
「はい……少し、気分を害しました」
乾いた笑い声がして、私は目を細めて笑う冥界の王を見た。
「生きている人間に冥界の食べ物の味は分からない。お前らは何を食っても味など知ることが出来ん」
「閻魔様は人使いが荒いだけでなく、意地悪なんですね」
何も言葉が返って来なかったので、言い過ぎたかと心配になった。黄鬼曰く、閻魔は行き場のないあやかしを受け入れる懐の深い一面もあるようだし、食事に招待してくれたのも優しさではあるかもしれない。
なにより、私の死後の人生を握っている彼に対して、あまり強気な態度を取るのは得策ではない。
「お前が冥界に留まるなら、知ることが出来る」
「え?」
「このまま、帰れなくしてやろうか?」
見上げた顔に閻魔の手が伸びて来る。
決して冗談とは取れない表情にゾクッとした。
しかし、恐怖からキツく閉じた瞼の向こうで低い声は「バカな奴め」と呟いて、そのままパシッと背中を叩かれた。あの笏はどうやら私を冥界から飛ばす役目も担っているようで、気が付くと私はまた、畳の上で仰向けに伸びていた。
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