第2話

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第2話

 翌朝、ウェルキエル帝国学院学生寮とある一室にて。   「ニーナさーん、そろそろ起きてください。遅刻してしまいますよ!」    黒髪黒瞳の少女、ユーフィア・フォーマルハウトは半泣きの表情でルームメイトの身体を揺すっていた。だが昨日同室だと判明し、互いに喜び合った銀髪の少女は一向に目を覚ます気配がない。   「ニーナさん!」    ユーフィアがもう一度名前を呼ぶとニーナ・アグラシアはようやく薄目を開けた。   「……ん。セヴ、私はまだ眠いの。あと……五分だけ……」 「どなたと間違えてるんですかッ?」    完全に寝ぼけているのか、ニーナはそう言ってまた目を閉じてしまう。ユーフィアは最終手段としてニーナの手から毛布を奪い取った。   「もう八時過ぎてるんですよ、初日から授業に遅れてしまいます!」    すると今度こそ目を覚ましたのか、ニーナがゆっくりと上体を起こした。そしてユーフィアの姿を視認すると数秒硬直した後に口を開く。   「……あぁ、ユーフィア。おはよう、起こしてくれたの?」 「はい……」    心なしか少しやつれ気味のユーフィアに首をかしげながら、ニーナは身支度を始めた。そんなニーナとは裏腹にほとんど準備を終えているユーフィアが、不安そうにニーナへ問いかける。   「ついに今日は初授業の日ですね。担当の先生はどんな方なのでしょう? あまり厳しくない人だといいのですが……」    どうやらユーフィアは担当教諭の人となりが気になるらしい。だがニーナはそのことに関しては全く心配していなかった。   「それならまず大丈夫よ。厳しいどころか緩すぎるくらいだから」 「……? そうなのですか?」 「えぇ」    新品の制服に袖を通し、長い銀髪を結い終えるとニーナの意識は徐々に覚醒していく。いまいち釈然としない様子のユーフィアに微笑み、ニーナは部屋の扉を開けた。   「行きましょう。とりあえず、行けば分かるわ」    ※※※    そうして迎えた初授業。机と椅子が整然と並べられた教室には四十名ほどの生徒が集められている。ギリギリで遅刻を免れたニーナとユーフィアは教壇の前の最前列に腰を下ろし、担当教諭の到着を待っていた。やがて授業の始まりを告げるチャイムが鳴り響くと一人の男性教諭が姿を現す。   「お、揃ってるな。じゃあ、早速授業……といきたいところだが今日は概論だけだ。授業も午前で終わる」    そう言いながら教壇に立った男性教諭は生徒たちを見渡すと自己紹介を始めた。   「俺が六年間お前たちを担当することになるセヴラール・アグラシアだ。呼び方は何でもいい。好きに呼んでくれ」 「……アグラシア?」    するとユーフィアが隣に座るニーナへ視線を向けながら小首を傾げた。ニーナは悪戯っぽく微笑んでみせる。   「ね? 大丈夫だって言ったでしょ?」 「……驚きました。まさかニーナさんのご家族が先生だったなんて」    ユーフィアが私語を咎められない程度の小声で返答する。その間にもセヴラールの話は続いていた。   「まず授業の進め方に関してだが……午前の一限から四限が実技、午後の五限と六限は座学が中心になると思ってくれ」    ウェルキエル帝国学院では入学前に実技科と座学科、どちらかを選択することができる。実技を選んだ場合は戦闘訓練や実践演習を多く行い、座学を選んだ場合は講義を多く受けることになるのだ。   「実技の授業では手始めにクラス内で模擬戦を行ってもらう。誰と組むかは自由だが戦闘が苦手な生徒はこの後声をかけてくれ」    ニーナはセヴラールが実技科を担当するという理由だけで専攻科目を即決した。より厳密に言えば実技科は二クラスに分けられておりどちらのクラスに配属されても不思議ではなかったのだが、その辺りは学院長が融通を利かせてくれたのだろう。   「座学はASSの起源や兵科、戦術、その他諸々を学ぶ。できる限り分かりやすく噛み砕いて説明するつもりだが、分からないところがあれば随時質問を受け付けるから安心しろ」    セヴラールはそこで一度言葉を切ると黒板に一枚の紙を貼り付けた。   「次は定期考査についてだ。帝国学院が三学期制なのは知っているな?」    ウェルキエル帝国学院では一学期と二学期に二回ずつ、三学期に一回試験がある。中間試験では実技、期末試験では座学のテストを行い、三学期の学年末試験では試験日を二日間設けるのが通例だ。特に決まりはないものの一日目に座学、二日目に実技試験という流れが多い。   「実技試験の内容は試験日の二週間前に発表される。基本的に、一年生の内は大きな怪我に繋がる試験はほとんど実施されないから気楽に取り組め。危険度が跳ね上がるのは四年生になった辺りからだ」    そこから先は実地演習、つまり実際の戦場で試験を行うこともある。ここ数年、戦況悪化が著しい帝国はまだ育ちきっていない学生でも試験の名目で最前線に駆り出していた。   「まぁ、それは何年か後の話だし一年の間は学院生活を楽しめばいい」    と、やや重くなってしまった空気を変えようとしたのかセヴラールが軽く言った。だが、既に覚悟を決めている一部の生徒に動揺は見られない。  かく言うニーナもそちら側の人間だった。望まぬ入学とはいえ、文句を言って状況が好転するならば苦労はしない。事前にそう割り切ってしまっている。意外なことに、ユーフィアもあまり怯えてはいないようだった。   「ここまでで何か質問がある奴はいるか? いなければ今日はもうこれで解散にするが」    セヴラールの問いかけに手を挙げる生徒はいない。それを見てセヴラールは解散を宣言した。初日から最前列で寝落ちしかけていたニーナもユーフィアに肩を揺すられて薄目を開ける。   「……んぅ、終わった?」 「お前な、少しは起きる努力をしろよ。俺じゃなかったら大問題だぞ」 「ちょっと、変な言いがかりはやめてちょうだい。私は寝てなんていないわ。ただ目を閉じて瞑想していただけよ」 「さっきフォーマルハウトに起こしてもらってただろ! そもそも授業中に瞑想すんな!」    至極もっともなセヴラールの主張も軽く受け流し、ニーナはさっさと席を立つ。   「命がけの戦場においては、冷静さを保つことが長く生き残る秘訣である。いつもセヴが言ってることじゃない」 「それとこれとは話が別だ! 自主練なら授業時間外にやれ!」 「まぁそんなことは正直どうでもいいわよね。もうこんな時間だし、食事にしましょう。私は朝食を食べ損ねてしまったのよ」 「……」    たった一分にも満たないやり取りで酷く疲弊させられたセヴラールは、深くため息をついてから何とか頷いた。   「下層の学生食堂でいいんだよな?」 「えぇ」 「じゃあお前らは先に向かってろ。俺は雑用を済ませてから行く」 「分かったわ。なるべく、急いでね」    最後に笑顔で釘を刺し、ニーナはユーフィアと共に教室を出る。向かう先は学生御用達の食堂だ。    ウェルキエル帝国学院には学生食堂が二つ存在する。一つ目は一年生から三年生までが使用する下層食堂。そして二つ目が四年生から六年生までが使用する上層食堂だ。    基本的に帝国学院では上級生との交流自体が極端に少ない。理由は単純明快で、ただただ危険だからだ。去年は四年生と五年生の小競り合いに巻き込まれた一年生二名が死亡、三名が重傷を負うという事件まで発生したらしい。    故に三年生までは下層と呼ばれるフロアで過ごし、四年生からは上層と呼ばれるフロアで学生生活を送ることになる。立ち入りが禁止されているわけではないが、下層の住人が上層に足を踏み入れる際には自己責任を前提としていることは言うまでもない。ちなみに上層から下層に下りるには特殊な許可証が必要になる。    そして今年も変わらず初授業を終えた一年生たちが下層食堂に集っていた。   「ここが帝国学院自慢の食堂ですか……。噂に違わず広いですね」    長テーブルと椅子が寸分の狂いもなく並べられた学生食堂を見渡し、ユーフィアが感嘆の声を上げる。ニーナは窓際の席を三人分確保すると同意を示すように頷いた。   「えぇ、食堂は学生同士のトラブルを避けるために上層も下層も広めに設計されているらしいわよ。治安の悪い帝国学院ならではの配慮と言えるわね」    各学院によって差異はあるものの、ウェルキエル帝国学院では学生同士の私闘を禁じていない。いくつか細かいルールは存在するが相互同意の上、指定のエリアで行うならば学院側は無干渉を貫いているのだ。よって学生の小競り合いは後を絶たず、もはや決闘は一種のイベントと化している。   「私は紅茶とスコーンのセットにしようと思うんだけど、ユーフィアはもう決まった?」    ニーナがメニュー表を見ながら問いかけると、ユーフィアは迷いながらも口を開く。   「そうですね……。では、サーモンサンドイッチにします」    二人で注文を終え、商品を受け取って確保した席に戻るとそこには既にセヴラールが立っていた。 「私の予想より早かったわね、セヴ。雑用はもういいの?」 「早く来いって言って急かしたのはお前だろうが」    そう言うセヴラールの手には購買で購入したと思しき紙袋が提げられている。どうやら二人に気を遣って手短に買い物を済ませてくれたらしい。    席に着き注文したスコーンを口に運びながらニーナが左隣に視線を向けると、そこでは緊張した面持ちのユーフィアが無言でサンドイッチを凝視していた。その表情にある種の悲壮感さえ感じつつ、どう話を切り出したものかとニーナは一人考えを巡らせる。ほぼ初対面かつ教師という立場のセヴラールにユーフィアから声をかけるのは不可能だろう。  だが、ニーナも決して人付き合いが得意な方ではない。苦肉の策としてニーナは右隣に座るセヴラールの脇腹を肘で小突き、それとなく視線をユーフィアへ誘導した。他力本願も甚だしいが、ニーナとの共同生活を何年も続けているセヴラールはその意図を正確に読み取って口を開く。   「あー、そういえばフォーマルハウトの実家って首都よりも工業地域の方に近いんだよな?」    何がそういえばなのかはよく分からなかったが、ユーフィアはこの質問に過剰なほど反応し大きく頷いた。   「は、はい。アルマク街道がある辺りです」 「あそこからだとどれだけ急いでもここまで馬車で三日はかかるだろ? お前の実力なら他にも入学できる学院はいくつかあっただろうに」 「ムリエル女学院とかズリエル帝国学院じゃダメだったの?」    ニーナが今名前を上げた二校は帝国学院の中でも特に武闘派として有名な学院である。ムリエル女学院に至ってはユーフィアの生家から数時間の距離にあり進学先として申し分ないように思われた。だが、ユーフィアは静かに首を横に振る。   「実は、私がこの学院を選んだのは家族の後押しがあったからなのです。ここでなら思う存分刀を振るえる、と叔父様に紹介していただきました」 「なるほど。確かに、ウチは治安が悪い分生徒のレベルも高いしな」 「決闘の自由度も他とは比べ物にならないわよね」    全十二校中、年間最多の決闘数を誇るウェルキエル帝国学院は戦闘面において他学院の追随を許さない。毎年開催されている学院対抗の競技会でも個人優勝はほとんどウェルキエル帝国学院が独占している状態だ。   「俺としてはもう少し規制した方がいいと思うけどな……」 「私も。面倒事はごめんだし」    特待生という立場上、何かしらの因縁をつけられてもおかしくないニーナはセヴラールの意見に賛成らしい。   「そう思うならしばらくの間は大人しくしておいてくれよ?」    食べ終わった昼食の袋を片付けると、セヴラールは早々に一人で立ち上がった。陸軍に所属していた時の癖が未だに抜けきっていないセヴラールは、基本的にとてつもない早食いなのである。   「ん、もう行っちゃうの?」 「あぁ、これから上層に用事があってな。お前らはゆっくり食ってろ」 「……え?」    何気ないその返答を聞いた途端、ニーナは咄嗟の判断でセヴラールの腕を掴み引き留めた。   「ちょっと待って。何で下層じゃなくて上層なの? そもそも何の用事?」    いぶかしむニーナの質問責めを受け、セヴラールは自分が失言したことを瞬時に悟る。強引に誤魔化してしまおうかとも考えたが、それは得策とは言えないだろう。ニーナの性格的に最悪、目的地まで尾行されかねない。   「少し人と会ってくるだけだよ。大丈夫だ、心配するな」 「なら、私も行く」    ニーナは残っていたスコーンを急いで口に放り込むと続けて紅茶で流し込み、椅子を鳴らして立ち上がった。その動きを手で制しながらセヴラールはユーフィアに視線を向ける。   「お前はフォーマルハウトとでも遊んでろ。今日は一年しか登校してねぇし二、三年のフロアにも行けるいい機会だろ? 二人で色々見てきたらどうだ?」 「……あ、あの、ニーナさん。実は私、植物園の方に行ってみたくて……」    と、セヴラールの視線に気がついたユーフィアが遠慮がちに口を開いた。二人の会話に割り込むには相当の勇気が必要だったのか、その瞳にはうっすらと涙の膜が張っている。ニーナはわずかに考え込む素振りを見せたものの、一度席に着いてセヴラールに背を向けた。   「……分かったわ。後で行きましょうか」 「は、はい!」    ユーフィアは安心したような、嬉しそうな表情で頷くと背後に立つセヴラールに目配せする。   「助かったよ、ありがとな」    小声で礼を言うとセヴラールは静かに食堂を後にした。あえてニーナには声をかけない。納得してくれたわけではないだろうし、ユーフィアにフォローしてもらった直後である。癇癪を起こされては堪らない。    「お前には悪いが、アイツと会わせるわけにはいかないんだよ。少なくとも、今はまだ」
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