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序
「ナッツん! どーしたんだよその前髪ぃ!」
春菜は親友である夏樹の非常事態にいち早く気づく。
「気に入らなくてちょっとだけ調整しようと思ったの。そして気づけばこんなになっちゃった……たはは……」
「あははははっナッツんってば笑かしてくれるなァ! 自分でやんなくてもママに頼むなりすりゃいいのに!」
ケラケラと笑う春菜に肩を叩かれて夏樹が縮こまる。
「でもでも……おばさんは……おしごと忙しそうだし」
「まだママのことそんなふうに呼んで他人行儀だねェ。家族なんだし遠慮しなくていいって言ってんのにさァ」
「ごめんね……わたしまだ……そこまで割り切れない」
「じゃあ今度からウチに頼みなよウデ見せちゃうから」
春菜の夢はカリスマ美容師だった。
しかし親に反対されているらしい。
「大丈夫? 勝手にハサミ使って怒られたりしない?」
「任せな! もっと芸術的なパッツンにしてやんよ!」
大ハリキリの春菜が言って腕まくりをしたところで、部屋のドアが急に勢い良く開いて大量の水を吐き出す。
「ハルちゃん!!」
「なっ……つ……」
ふたりとも激しい流れに翻弄されるまま引き離され、もがいて伸ばすお互いの手は数センチの差で届かない。
§
目覚めた夏樹はベッドから飛び起きる。
お気に入りのイルカちゃんのキグルミ風パジャマが、汗でぐっしょり濡れて色白の肌に密着して不快を誘う。
「ハル……ちゃん……」
溺れかけた直後のようなひどく荒い息継ぎの合間に、夏樹は両手で顔を覆って小刻みに震えながらつぶやく。
親友にして第二の家族だった春菜 友梨香。
修学旅行先での水難事故によって既に故人。
かたく閉ざした瞼の裏に夏樹は春菜を幻視する。
海面に浮かぶ青白い水死体がたちまち膨張してゆき、モデル顔負けのスタイルは二目と見れぬほど醜く歪む。水ぶくれの肉達磨がガラス玉のような目で夏樹を睨み、腐った歯茎むき出しの口からガラガラ声の呪詛を吐く。
ゆる さない
「ごめんねハルちゃんごめんねぇ一緒に死ねなくて! わたしだけがわたしなんかがおめおめと生き延びて!」
夏樹はベッドにうずくまって嗚咽する。
報われなかった親友の魂に許しを乞う。
「許して」
高い声で喚いた夏樹の喉がその直後に、
「ゆるさない」
と打って変わって低い声で自ら答える。
「おまえには親も友達もいない悲しむ人がいない」
「ハルちゃんにはいっぱい悲しむ人がいたもんね」
「おまえが死ねばよかったのに」
「わたしが死ねばよかったんだ」
「そうよ」
「だよね」
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