私の中で何だったか

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コロナとは私にとって何だったか。それは、人類に対して見切りをつけた出来事に他ならない。 それまで私は人類に対して微かな希望を抱いていた。 お互い些細なことでいがみあったり批判しあったりしても、対局のところで目指す方向は同じなのだろうと思っていた。 しかし、コロナというものが現れて、人類にとっての共通の敵が現れて、人類がとった行動というのは、その人類共通の敵に力を合わせて立ち向かうのではなく、互いに互いを非難し合い、責任をなすりつけ合うという、醜い姿であった。 自分の都合のみを主張し、それができないとなると、政府や外国人に腹を立て、わがままを主張した。 あんなものは初期の段階でじっと停止をしていれば、勝手に消えていくものであるというのに、わずか二週間大人しくしているということすらできなかった。 一体何のために国があるのか。国際社会があるのか、国連があるのか。 停止によって経済が停滞する地域を、他の地域が助けるという、そういう発想すらせずに、ただただ発生した地域を呪った。 多くの自称知恵のあるものたちが、愚かなデマを流した。 わずかに経済活動を緩めるだけで、経済を止めるなだの、経済をまわせだの、我こそが世の中の仕組みを知っているとでも言いたげな有象無象どもが、偉そうに大所高所からものを言った。 だが実際は、パリやロンドン、そしてニューヨークまでもがロックダウンをしたのに、1秒たりとも世界経済が止まった瞬間はなかった。 インフルエンサー、ご意見番、芸能人、口うるさく批判的なスポーツ選手、スピリチュアリスト。皆が出鱈目なことを言っていた。みんな間違っていた。そのことを国民全てが知ったはずだ。 彼らがどれだけ嘘つきで当てにならない人物であるかを知ったはずなのだ。 コロナが明けてのち、あれだけ間違っていた人間が、再び自分が知恵のあるものであるという顔をして、コロナ以前のように大所高所から人々を見下した発言をしている。 そしてそれをありがたく頂戴している大衆どもがなくならないのである。 これら一連の状況を見て、私ははっきりと人類に絶望したのである。もはや救う価値はない、救えない愚かものどもであると、はっきりと見切りをつけたのである。 宇宙の友たちは、この状況を見て何と思ったであろうか。
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