夢屋

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 女の子が帰ってから数時間、お客さんは全く来なかった。その間、店主はずっとパソコンに向かっていた。穏やかな時間を、ボクは店主のそばで丸くなって過ごす。幸せって、こんな時間のことを言うんだろうな。ボクはぼんやり、そう思った。 「……そろそろ、昼休みにしようか」    店主はボクに向かって呟く。そういえば、もう昼時だ。そう自覚した瞬間、ボクのお腹の虫が騒ぎ始める。    店主は大きく伸びをしてから立ち上がると、サンダルを引っ掛けて店先に向かう。そして、扉に「休憩中」の札を掛けた。この瞬間、店主は霞想夜(そうや)という名の一人の若者になる。「店主」という肩書は、営業中にのみ使われるべき。それが店主――想夜の考えだ。 「さてと、ご飯の準備をするかな」    想夜が二階の台所へ向かおうとしたその時。 「久しぶり」    明るい声と共に入って来た人物を見て、想夜の顔がほころぶ。 「元気そうだな」    その人物――結城(ゆうき)達朗(たつろう)は、小上がりに腰掛けると、パンパンに膨らんだ紙袋を傍らに置いた。それには想夜へのお土産が詰まっていることを、ボクは知っている。ここにやって来る時にはいつも、色々な土地の特産品を持って現れるからだ。 「いつ帰って来たの?」    想夜が尋ねると、達朗はボクを撫でながら「昨日」と答えた。 「今回も良い旅だったよ。漁船にも乗ってきたし」    達朗の話はいつも面白い。聞いていると、達朗の目を通して見たことがない景色が見えるような気がして、ボクの世界がちょっと広がる。達朗は想夜の同級生で、小学校から高校まで同じところに通っていた。大学の四年間と、数カ月の会社勤めの間は都内に住んでいたみたいだけれど、最近は日本全国を色んな仕事をしながら旅している。聞いた話だと、大学を卒業して入社した会社がすぐに潰れてしまったことがきっかけで、今のような生活をしているらしい。 「久しぶりの地元は、やっぱり良いねぇ」    ひとしきり旅の話をしてから、達朗がしみじみとした様子で呟く。 「色んなところに行くようになってからさ、故郷の存在の大きさに気付いたんだ。帰って来たっていう感覚は、人を安心させるんだろうな」    想夜はぴんと来ていない表情をしている。想夜は、生まれ育った菜の花町を長く離れた経験がない。達朗とは正反対の人生を送ってきたと言っていいだろう。だから、二人の感覚にズレがあることは当たり前なんだと思う。 「この店はずっと変わらないから、すごく落ち着く。俺にとっては、第二の実家だよ」    達朗の言葉に、想夜は喜びをちょっぴり顔ににじませる。  親父さんから受け継いだこの店を守って、お客さんが安心できる場所にする。    それが、想夜の生きがいなのだ。
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