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この姫原ワールドが実のところ嫌いじゃなくて、面白い感性だなと、ある種の才能として営業にも生かせるのではないかと常々考えているが、今のところこのスキルを活用する方法は思いついていない。
多くの人間をマネジメントしていてわかるのだが、案外こういう役に立たなそうな素質が仕事をする上で輝く場面があったりするのだ。
行列は進み、店の入り口をくぐってうどんをオーダーするところまできていた。
「釜玉得で」
「私は釜揚げ並をお願いします」
ここまで行列している場合、釜揚げうどんを頼むと湯に浸かった麺が伸びてしまい、釜揚げ独特のもっちりとした食感が損なわれてしまう。この状況を打開できるライジングポイントがある。
「あ! それ湯抜きでお願いします」
姫原の前で俺は言って、勝手に姫原の注文内容をカスタムした。
こうやって社内でもグルメにうるさいおっさんキャラとして、俺と一緒に食事したがる奴は少ないのだが、姫原は「またライジングですか?」と半ば嬉しそうにニヤニヤして楽しそうである。
「そうだな、麺が伸びるとまずいからな」
「さすが部長」
と、勝手にオーダー変更しても文句を言わない姫原はあまり食に関してのこだわりがないのだろうか。あるいは部長たる俺を信頼してのことだろうか。
「玉子は混ぜてよろしいですか?」
釜玉うどん――釜揚げしたうどんを湯切りし、玉子を混ぜ入れたもの。こいつはデフォルトでお湯抜きである。
釜玉は並と大では玉子がひとつなのだが、得になるとトッピングが二倍になる。であるから例えば明太釜玉にしたら明太と玉子が二倍になる。そういう意味で『特』ではなく『得』となっているのだろう。
「はい、お願いします」
ひとつの玉子がやや雑に箸で混ぜられると、もうひとつの玉子は混ぜられることなく麺の上に落とされる。オレンジに近い黄身の色は濃厚さを物語っていた。
ここはチェーン店といえど、こういったひとつひとつの素材にもこだわりが感じられる。きっと運営のバイヤーが優秀なのだろう。弊社も見習わなければならないな。うむ。
姫原にも釜揚げのお湯抜きが配膳されると次は天ぷらやおにぎりのレーンが続く。
先頭には野菜のかき揚げや細竹天、ちくわ天、まいたけ天、と定番の天ぷらが続きかしわ天が締めくくる。
俺は天ぷらゾーンを底堅く守るボランチ的位置づけのれんこん天一択。
俺に続く姫原はこの魔のレーンの魅力にまんまと魅入られている様子で、次々にトングを手に持っては自分の皿に天ぷらを運んでいた。
ひと足先にレジ前まで辿り着き、俺が財布をポケットから取り出している様子を見て、別会計にされてはならぬ! と慌てて自分のプレートを爆速でスライドさせてくる。
姫原の皿から飛び出すほどどっさり盛られた天ぷら軍。麺将軍に対して兵力が多すぎる! まったくこいつときたら……。
「お会計2130円になります」
こいつ俺より金額でかいじゃないかよ。それは良いにしてもしっかり食べきれよ。
会計を済まして、ネギ、天かす、おろししょうがのセルフトッピングゾーンに向かう。
ネギが無料というのがここの素晴らしいところだ。ネギ好きの俺にとっては凄くありがたい。
まず、釜玉の上におたまで軽く天かすを落とし、ネギをこれでもかと投下する。山盛り。
ネギ爆弾ライジング。
そして席に着き、うどんの熱が冷める前に軽くだし醤油をかけまわし、大量のネギを潜らせるように麺を持ち上げて混ぜる、さらに上から軽くだし醤油をかけまわし、完成。
姫原もトッピングを終えて席に着く。
どっさりと盛られた天ぷら。野菜のかき揚げ、まいたけ天、れんこん天、さつまいも天、かしわ天……。
天ぷらに注がれる俺の痛い視線に気づいたのか「いやぁーついつい取りすぎちゃいました」と姫原は食べきれないかもしれないと保険をかけるが、「ちゃんと残さず食えよ」と俺は追撃して、そのスーツジャケットできめた保険の営業みたいな趣もろとも一太刀、予め両断しておく。
「あ、私お水入れてきます。私が見ない隙に天ぷら取らないでくださいよ」
「はいはい」
「もう一度言いますよ、絶対に天ぷら取らないで下さいね、特にまいたけとか」
お笑い芸人も苦笑いのベッタベタなフリにも動じず、俺は箸を持つ。
スッと持ち上げたうどんには適度に固まった玉子、さらにネギの輪切りが絡む。
これをズズッと口いっぱいになるまですする。そして噛みしめる度に釜揚げ特有のほのかな小麦の香りとピリッとした香辛のネギの香りが鼻を抜ける。もちもちの食感に玉子のまろやかさが相まり、絡んだ少しのネギの食感も良いアクセントになって心地よい。
子供の頃に遊んだ、空気でできたふわふわドームの中にいるような高揚感を得たまま、麺を少し持ち上げ麺の下で適度に加熱されてしんなりしたネギの塊に箸を伸ばしグイッと持ち上げ、食らう。
玉子、天かすを纏ったネギの塊のシャキシャキとした食感が、より麺に向かう箸の速度を上げる。
そして、れんこん天には塩。日によって天丼のたれをかけることもあるが今日は塩の気分だ。
れんこん天をサクッと嚙む。歯形が残るくらいに歯切れの良いれんこん。その断面からは白い糸が一本、スーッと伸びた。
ここのれんこんは味のごまかしの効かない厚切りであるにもかかわらず美味い。上質なれんこんというのはシャキシャキしているのはもちろんだが、もっちりとしていて深い甘みを内包している。ギュッと噛みしめると、れんこんの旨味がじわりと溢れ、その弾力ある質感に触れることができる。全国チェーンでこの品質のれんこんを採用していることが素晴らしい。
姫原が水の入ったグラスを両手に持って帰ってくる。
「ちょ、部長! 私言いましたよね。まいたけ取らないでくださいって」
「だから文面通り取っ――」
言う言葉を遮って、姫原は水の入ったグラスを素早くテーブルに置く。その空いた手でそのまま自分の皿のまいたけ天を素手で掴み上げ、俺の皿にリリース、そしてオン。俺の皿にまいたけ天、降臨せし。
「ホント五十嵐部長は食いしん坊ですな」
「お前な……」
あきれ具合にまいたけ天を箸で持ち上げ、姫原の皿に返そうとするが「おっさんの食べかけとかいりませんから」とさきほどのふざけた態度はどこへいったのか、俺に真顔を向ける。
まったく。おっさんにはこんな衣だらけの天ぷらきついんだがな。
でもこんな幼い娘と口喧嘩する方が胃もたれしそうだ。仕方ない、いただくことにしよう。
姫原もズズッと釜揚げうどんをリスのように口いっぱいほお張ったかと思えば、うどんを飲み込むのを待たずして、天ぷらも大きな塊のままバリバリと口に放り込む箸ムーブ。
様になっている。細身で清潔感のある見た目と違って気持ちのいい豪快な食べっぷりだ。
だからこの際、その見えないくらいにつけ汁を覆っている七味唐辛子には目をつぶってやろう。この辛党め。
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