第二話 本当の居場所

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「痛って……⁉」  反射的に青年は手を引っ込めた。  美桜には何も感じられないが、美桜に伸ばされた青年の指先は軽く火傷しているように見えた。 「何しやがる!」  青年は今までの余裕綽々で軽薄そうな雰囲気から一変して、烈火のごとく怒りを露わにし美桜を鋭く睨みつけた。  しかし美桜にも何が何だかよくわかっていない。混乱と恐怖に胸の前で手を握りしめていると、懐が温かいことに気がついた。 (確か、ここには……)  美桜は懐に手を差し入れると白いお守りを取り出した。ほんのり熱を持つそれはぼんやりとした優しい白い光をまとっている。 (紫苑の、お守り。……まさか、私を守ってくれたの?)  青年も美桜の手中にあるものに気がついたようだが、こちらは怯んでいるようだった。 「熱い、眩しい……! 何なんだよ、その守り袋は!」  美桜には熱くも眩しくも感じられないが、何故なのか考えている暇はない。美桜は青年に背を向けると大門に向かって裏通りを駆けだした。 「あ、この……っ。待ちやがれ!」 「……っ!」  裏通りにまばらにいた通行人たちが騒ぎを察して美桜たちを振り返る。しかし美桜にはそれに構う余裕はない。着物で裾が捌きにくくても草履で走りにくくても、なりふり構っていられなかった。 (ここで、捕まったら……!)  また絶望の日々に叩き落される。その恐怖だけが美桜を突き動かしていた。  風のように通りを走り抜けると目前に大門が迫ってきた。大門には大通りの人々も合流していたので人でいっぱいである。美桜は徐々に速度を落とすと、恐る恐る背後を見た。 (……いない……)  背後にいたのは数えきれないほどの人々で、その中にあの青年の姿は見つからなかった。  美桜はほっと息を吐きながら顔を正面に戻した。 (早く紫苑と合流しないと……)  大門の真下にいては邪魔になると思い、美桜はひとまず大門脇の人が捌けている場所へ移動することにした。大門の外へと足を踏み出した瞬間。 「!」  美桜は反射的に飛び退った。先ほどいた地面には短刀が突き立っている。 「あーあ。俺としたことが外しちまった」  声は大門の上からした。美桜がばっと顔を上げると先ほど美桜を追いかけてきた青年が大門に腰かけている。遠目からでもわかるほど彼は冷たい瞳で美桜を見下ろしていた。 「風雅……。こんな往来で短刀を投擲するなんて、何を考えているの」  美桜が非難をこめて鋭く睨みつければ、風雅は「はあ? 俺が標的を間違うわけねえだろ」と言い捨てた。美桜ほどではないにせよ、風雅も短刀の扱いに長けた式神だ。指先に軽い火傷を負っているとしてもそれは彼にとって些末事に過ぎない。相手が美桜でなければ、その短刀は過たず標的を貫いていただろう。 「大体おまえが大人しく戻ってくれば済む話だろ」  嫌と言いかけた美桜だが、その言葉は声にならず渇いた喉に張り付いた。 (紫苑のところに戻ったとして、私はなんて説明するの? 事実を知ったら、優しい紫苑であっても……)  美桜の内心を見透かしたように、風雅のせせら笑いが降ってくる。 「主様のところ以外、戻る場所なんてねえんだよ。どう取り繕ったっておまえは俺たちと同じ、こっち側の者なんだからさ」 そんなことないと否定することはできなかった。美桜は少なからず、風雅の言葉を正論だと思ってしまったから。 (私には罪があるのに、平穏な日々を送ることなんて許されるはずないじゃない)  俯き、その場で佇むだけの美桜は風雅にとって格好の的だった。彼は大門の上からひらりと飛び降りると勢いを殺すことなく地面から愛刀を引き抜き、嗜虐的で酷薄な笑みを浮かべながら美桜に肉薄する。  空気が裂かれる音で美桜は短刀の軌道を察知した。 (彼が狙っているのは私の右腕)  おおかた万一、美桜が抵抗したときに短刀を扱う右手を使えないようにするためだろう。それを理解した上で、美桜はあえて短刀の軌道上から右腕を逸らした。代わりに差し出したのは、首。 (楽になるなんて本当は許されないとわかってる。だけど、もう終わりにしてしまいたい)  死んでしまえばおよそ償いきれないであろう罪の意識に苛まれ、生きることや死ぬことに恐怖することだってなくなる。  紫苑とようやく再会を果たしたのにもう心穏やかな日々を送れなくなることは僅かな心残りだったが、彼に合わせる顔がない以上望むべくもない。  美桜の狙いに気づいた風雅は残忍に嗤った。 「それはそれで有りだ……」 「恐鬼怨雷、急々如律令‼」  目にも止まらぬ速さで風雅の右手に雷が落ち、あまりの衝撃に短刀は弾き飛ばされた。 「がっ!」  痛みに呻く風雅を後目に、抱えていた薫衣草の鉢を道端に投げ打って美桜に駆け寄ってきたのは紫苑だった。彼は普段の静かで穏やかな態度からはかけ離れた余裕のない表情を浮かべ、肩で息をしている。 「良かっ、た……間に合って……」 「紫、苑……」  覚悟していた死が訪れなかったことよりも目の前に紫苑が現れたことの方が美桜には堪えて、動揺から声が震えてしまう。  一方で紫苑も別の意味で動揺していた。 「今……」 「この気配……。さっきの守り袋といい、今の呪符といいやってくれるじゃねえか!」  紫苑の言葉を遮ったのは怒りに目をぎらつかせる風雅だ。 「二度も俺の邪魔をしやがって。美桜を連れ戻す前におまえを……」  『美桜』という名前を聞いた途端、紫苑の目の色が変わった。動揺が瞬時に消えた瞳は凍てつく氷のようだ。視線は風雅を射抜いているものの側にいた美桜ですらその変貌ぶりに背筋が凍った。 「美桜が、何?」  美桜に対してはいつも優しくて温かだった紫苑からは考えられない冷え冷えとした声が落とされる。 「『連れ戻す』じゃなくて『連れ去る』じゃないの? それに彼女を害そうとして、殺しそうになっても躊躇わなかった」  紫苑の静かな圧に、風雅は冷や汗を垂らしながらも鼻で嗤った。 「殺しそうになったって言うけどな、それはこいつが望んだことだぜ? おまえはこいつのやってきたことを知らねえから、んなのんきなことが言えんだよ。なあ、美桜?」 「……めて」 「むしろ死んだ方が楽だったかもな。妖殺しの夜桜?」 「やめて!」  一番聞かれたくない人に聞かれてしまった。陰陽師であるならば一度は耳にしたことはあるだろう『妖殺しの夜桜』という異称。  紫苑の次の反応を見るのが怖くて、美桜は俯き、固く目を瞑った。手の震えを押さえようと指が白くなるまで握りこむ。 (きっと紫苑も忌避して幻滅するわ。……嫌われ、る……)
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