第二話 本当の居場所

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 それから美桜はあてがわれている自室に籠っていた。部屋の隅に膝を抱えて座り、畳のどこでもない一点をただぼんやりと見つめ続ける。陽が落ち、室内に薄闇の紗がかかっても行灯に灯を点ける気にはならなかった。  陽が落ちきる前に紫苑が一度美桜の様子を伺いに来たが、襖越しの短いやりとりだけで顔を合わせることはしなかった。紫苑は夕飯に誘ってくれたが、美桜は当然そんな気分にはならず、式神のときの扱いで慣れていたから多少の空腹も気に留めるほどではないと判断して断った。紫苑がどんな顔をしていたかはわからないが、「わかった」という声は沈んでいるように聞こえた。 美桜の思考はずっと同じところをぐるぐると回っている。罪悪感と嫌悪感が胸をどす黒く染めていく。気が狂いそうになり、吐き気がした。  思考の海に溺れるにつれて、美桜の意識は水中に溶け消えるように次第に曖昧なものになっていった。  決して裕福な生活ではなかったが、そんなことが些末事だと思えるくらいに美桜と紫苑の二人きりの生活は確かに幸せなものだった。幼なじみとしての情はいつしか恋情に変わり、好きだと言葉にすることがなくても互いが互いを想い合っていることはわかっていた。  美桜が一四歳の誕生日を迎えたばかりで、紫苑がまだ一六歳の誕生日を迎える前のことだった。 その日は穏やかな青空が広がっていて、早春の風は冬の名残をのせて軽やかに吹き抜けていた。厳しい冬が明け、待ち望んでいた春が訪れようとしていた。 紫苑の家の近くに流れる川に張っていた氷は解け、山の植物たちは一斉に生長している。そこで紫苑は川魚を獲りに、美桜は山菜を採りにそれぞれ出かけた。 美桜が両親ともともと住んでいた家は紫苑の家よりもさらに山奥にある。美桜がその家に行くときは置いたままになっている荷物を取りに行くときか、側に作っていた畑の野菜の世話をしに行くときか、あるいは周辺の山菜を採取しに行くときのいずれかだった。 到着した山奥の家の周辺で蕨やぜんまい、ふきのとうといった春の山菜を収穫する。本来の目的を達成し、ついでに畑の様子も見てから帰ろうと森から出ようとして、美桜は足を止めた。 人の声がする。それも一人二人ではない、集団の声である。滅多に人が踏み入らない人里離れたこの場所には全く似つかわしくない騒がしさ。 美桜の胸に嫌な予感がざわざわと音を立てて迫る。 (どうしましょう……)  一人では心細く不安でいっぱいで、思い浮かべたのは紫苑の姿だった。とにかく紫苑のもとに戻ろう。美桜はひとまずその場を離れることにした。  人間姿よりも本性である半妖姿の方が動きやすいため一時的に変化を解く。足音を殺しながら立ち並ぶ木々の間をすり抜けていくと森の出口が見えてきた。ここを出て迂回すれば遠回りにはなるが紫苑の家に戻れる。  ぱちっ。  本性に戻ったことで良くなった美桜の狐の耳に小さく不吉な音が届く。次いで鋭くなった嗅覚が嫌な臭いを捉えた。  美桜ははっとして振り返った。そして目の前の光景が信じられずに瞠目した。  今は誰も住んでいないとはいえ、美桜と両親の思い出の詰まった家が炎に舐められていた。空気が乾燥しているせいで火のまわりが早く、ぱちぱちっという音はあっという間にごうっという大音に変わっていた。 (……え、なんで……)  全く理解が追いつかない美桜は、ただただその場に呆然と立ち尽くすことしかできない。 そんな美桜を現実に引き戻したのは大人の男の声だった。 「いるんだろう、半狐! 人間をたぶらかす悪狐め! 今こそ討伐してくれよう!」 美桜の頭は真っ白になったが、男の言う『狐』が自分であるとじわじわと理解が及ぶにつれ、顔を青褪めさせて絶句した。  人間に害をなす妖が討伐されることがあるというのは知っている。 (だけれど、どうして私が……⁉) 人間に害をなしたことなど記憶の限りない。人間社会に合わせ、紫苑と慎ましやかに生活しているだけだ。男の声明は何かの間違いで、誤解かいいがかりである。  混乱と動揺から美桜は一歩後ずさったが、それがまずかった。  枝の折れる乾いた音がやけに大きく響いた。 「そこか! 風雅、やれ!」 「主様の仰せのままに、ってな!」 狭い木立の合間を器用に飛び進む烏は美桜の眼前に迫ると同時に人間姿に変化した。右手にはいつの間に取り出したのか短刀が握られており、躊躇なく美桜に振り下ろされる。 「……っ!」 美桜は咄嗟に避けた。動体視力の優れている本性に戻っていなかったら命はなかっただろう。そのまままろぶようにして森の出口に向かって走り出した。 「風雅、純子。絶対にあの娘を逃がすなよ!」 「はいはーい」 「承知いたしましたわ」 「残りのお前たちは周辺を警戒しろ!」 「はっ!」 烏の妖である青年は素早く美桜に追随し、集団の中から猫の耳と二又の尾をもつ少女が進み出てこちらも美桜を追い出した。 訳がわからないまま美桜は必死になって逃げ惑う。
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