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「美桜‼」
「紫、苑……っ」
異常を察したらしい紫苑は森の出口の先まで美桜を探しに来ていたようだ。紫苑の顔を見た途端、美桜の膝は力を失って、転ぶようにして紫苑の方へ倒れかけた。紫苑は危なげなく美桜を抱きとめると、その体勢のまま美桜に「何があったの?」と尋ねた。
「わ、わからないわ。人の声がすると思ったら、私の家が、燃やされて、それで……。とにかく逃げないと!」
美桜の切迫した表情に、紫苑も話すより逃げる方が先だと思ったのだろう。美桜の手を引いて走り出そうとした。
その真横を銀色に鈍く光る物が通りすぎていき、美桜と紫苑の髪をふっと揺らした。がっという音がして前方の木を見ると、そこには短刀が突き刺さっている。
美桜の背中につうっと冷たい汗が伝った。
背後から愉悦に満ちた声が聞こえてくる。
「獲物を横取りとは感心しねぇな、人間?」
紫苑は振り返り、咄嗟に美桜を庇うように前に出た。その瞳は美桜が見たことがないほど冷ややかで険しい。
「まあまあ、そう警戒すんなよ。そこの女をこっちに渡してくれりゃあ、おまえにはなんもしねぇからさ」
「断る」
「って即答かよ」
風雅と呼ばれた青年は肩を揺らしてくつくつと笑う。
「んじゃ仕方ねぇよな。おまえには死んでもらう、ぜっ!」
言いきらないうちに風雅は素早く跳躍すると木に突き刺さった短刀を引き抜き、振り向きざま紫苑に斬りかかった。
ただの人間である紫苑が訓練された妖と対等に渡り合えるはずもなく、短刀の切っ先が紫苑の左腕をかすめた。
「っ!」
「紫苑!」
「僕はいいから! 美桜は早く逃げて!」
「で、でも……!」
きっと彼らの目的は美桜にあるのだ。紫苑はただ巻き込まれているだけなのに、彼を置いて自分だけ逃げるなどできるはずもない。
美桜が躊躇っていると、すぐ横に純子と呼ばれていた少女が音もなく降り立っていた。
「わたくしもいますこと、忘れないでくださいまし?」
「⁉」
美桜はほとんど反射的に逃げようとしたが、純子の方が速かった。為す術もなく腕を掴まれ、逃げることができなくなった。
「風雅さん、もうよしてあげなさいな。弱い者いじめなんて趣味がよろしくなくてよ」
「なんだ、もう捕まえのか。つまんねーの」
文句を垂れながらも風雅は紫苑に向けていた短刀を鞘にしまう。そして純子に捕えられた美桜を追い立てるようにして歩き出した。
「ほらほら、止まってねぇでさっさと歩けよ」
「わ、私は……!」
「待って、美桜!」
美桜に向けて紫苑は右腕を伸ばしたが、その手が美桜に触れることはなく、代わりに一枚の霊符が貼りつけられた。
「え……?」
「動静緊縛、急々如律令」
袴姿の中年の男がぬっと現れたかと思うと、なにごとかを唱える。たった一言で紫苑の動きは完全に止められた。伸ばした腕はそのまま宙に縫いとめられ、声のひとつも出せなければ愛しい女の子の名前を呼ぶことすら叶わない。
(美桜、美桜……‼)
「あら、主様ではないですか。ご命令通り彼女を捕まえましたが、これからどうするのです?」
男は舐めるように美桜の頭のてっぺんから爪先まで眺め尽くすと、にたりと不気味に笑った。
「見た目は悪くない。それに風雅の一撃を避けた。戦いの素質もありそうだ。この娘は目的通りわたしの式神としよう」
「つーことは俺らの仲間ってことっすか」
「あらあら、よろしくお願いいたしますね」
「……」
美桜は言葉をなくした。
(式神って、陰陽師の道具ってこと?)
美桜が茫然自失とする中、主と呼ばれた男は一切の慈悲もなく美桜に霊符を放った。
「傀儡従属、急々如律令」
「……⁉」
「いいか、娘。正式な儀式は邸についてからになるが、今からわたしはおまえの主だ。わたしの言うことは絶対だ。言動にも気をつけろよ」
そんなこと認めないと美桜は口を開いて。
「はい、わかりました」
心にもないことを口走っていた。
(なんで⁉ 私はそんなこと思ってないわ!)
さらに勝手に足が動いて、主の後についていこうとする。
(お願い、止まって!)
しかし美桜の懇願も空しく、歩みは止まらず、紫苑との距離がどんどん開いていく。遠ざかる愛しい男の子の名前すら呼べないまま、美桜は紫苑と引き裂かれ、優しかった日常を奪われた。
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