満月に集う魔法使い

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――――どうして、私だけなんだろう……… 心の中で、深く深くため息を吐き出した。 目の前には、真剣な面持ちで私を見つめる二人。 私の母親と、担任教師だ。 そして……… 「人の話を聞く時はちゃんと目を見なさい」 母がそう言った瞬間、私はため息とともに、するすると諦めの蓋を心に乗せたのだった。 いったいこの手のお説教は何度目だろう? 親、教師、ちょっとばかりお節介な友達……みんなが私のためにと思って言ってくれたのはわかってる。 それが人としての一般的な礼儀だということも。 でも、無理なのだ。 だって、私は…………、私は…………うっかり人の目を見たりなんかしたら、わかってしまうから。 その人が、嘘をついているか、いないのかを。 最初に気付いたのは、記憶にも残ってないほどの大昔。 たぶん、物心ついてすぐの頃だろう。 どういうわけか、わかったのだ。 ”あ、この人、本当のことを言ってない” と。 そもそも嘘というものの概念をなんとなく学んだのは幼稚園に通っていた頃で、「嘘をついてはいけません」と教わりだしたのもその頃だ。 でもそれがどういう意味なのか、どうして嘘をつくのが悪いのかも理解しきれていなかった。 だいたい、当時の私は、誰もが自分と同じように他人の嘘を見抜けると思っていたので、普通に、無邪気に、「じゃあお母さんがさっき嘘ついたのはいいの?」なんて口答えしたりしていた。 それは家族の中にとどまらず、幼稚園の先生や友達に対しても同じで、だからしょっちゅう喧嘩になったり、大人の逆上を目の当たりにしていた。 嘘を見抜かれた人間が、冷静でいられるはずはなかったのだ。 大人でも、子供でも。 そんな経験を繰り返していくうちに、私は子供ながらに学んだのだった。 嘘を見抜けるのは私だけ 人の嘘を指摘してはいけない この力は誰にもばれちゃいけない だから、人の目を見つめてはいけない パッと目が合う程度だったり、画面越しなどではこの現象は起こらなかったので、私はどうにか誤魔化して誤魔化して、人と接していった。 その結果、”人の目を見られないほどのシャイ” というキャラ設定を確立できた。 小学生の頃だ。 このキャラ設定は非常に効果的だったが、やはりちゃんとした会話の際は、その設定だけでは押し通せないこともあった。 親から叱られているとき、学校などで誰かから注意を受けるとき、真面目な話し合いのとき………相手の目を見ないというのはどうしてもネガティブな印象を与えてしまったからだ。 もっともそれ以前に、母からは礼儀として ”人の話を聞く時はその人の目を見なさい” と、何度も何度も、本当に何度も厳しく躾けを受けていた。 そしてその都度、私は心にそっと蓋を乗せるしかなかった。 私だってそうしたいのは山々だ。 でも、できないんだからしょうがないじゃない。 だって、相手が今嘘をついてるなんて、知りたくないんだから。 父が母に冷蔵庫のプリンを勝手に食べたかと問い詰められ、否定したとき。 同級生が別の同級生の新しい髪形をしきりに褒めていたとき。 例え、嘘をついてる対象が私以外の人であっても、その言葉が嘘だとわかってしまうのは、些細なことでも結構きつかったのだ。 その内容が深刻なものになれば尚更で、真面目な話し合いの場でなんか、絶対に相手の嘘を見抜いたりしたくなかった。 でも今日は高校の三者面談で、まさにシャイ設定を押し通せない真面目な話し合いの日、私にとっては厄日だった。 母とも担任とも目が合ってるかどうかのギリギリのラインに視線を設定しながら、どうにかやり過ごせないかと試みてみたものの、母は見逃してはくれなかった。 面談中にもかかわらずいつもと同じお説教を食らい、いやそんなことより進学先について話し合いましょうよと内心で悪態つくも、シャイ設定を信じ切っている担任教師の前ではそんな強めの発言ができるわけもなくて……… 私は(やすり)で擦られたようなザラザラした時間を耐え忍んでいた。
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