黄昏れ時の勇者と魔法使い

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名刺への凝視を解いた私は、おずおずと答えました。 「実は………そうなんです。だから、私には魔法の力はやっぱりないのかと……」 「ああ、やはりそうでしたか」 男性は少し笑ってから、若干の自責を滲ませたのでした。 「場合によっては一旦文字が見えなくなることもあると、前以てお教えしておけばよろしかったですね。考えが及ばず、失礼いたしました」 「……そうなんですか?」 「ええ。昨日や今は、私がそばにいるせいであなたの力が急激に大きくなったのでしょう。名刺もそれに反応いたします。もちろん、”魔法の元” を持たない一般の人は、いくら私がそばにいてもこのようにはなりません。我々がそばにいると互いに影響しあうのは、あくまで魔法使い同士のみです。ですが昨日もお話ししましたように、その影響を受けた状態が永遠に続く人もいれば、一時的の人もいらっしゃいます。一時的といっても、繰り返し影響を受けることで徐々に力が育っていくのは間違いないので、時間差はあっても結果的には一時的も永遠もほとんど差はなくなります。ですので、この名刺の文字が見えなくなっても気にする必要はありませんよ。すぐにあなたの力だけで読めるようになるはずですから」 男性は、大したことないという温度感でそう説明なさいました。 私はもう一度名刺をよく見つめ、そこにある文字を親指でそっと撫でました。 「そうなんですか………」 確かに昨日、一時的という言葉を聞いていましたので、男性の説明は納得できるものでした。 落ち着いてよくよく考えれば、私も容易く思い出せたのかもしれません。 ですが、私にはそうできない理由があったのです。 特に今朝夫を見送ってからの私は、落ち着いてなどいられませんでしたから。 あきらかに、私は動揺していたのです。 「まだ何かご不安が?」 男性は優しく問いかけてくださいました。 私は無意識のうちに名刺を手に中に閉じ込めていました。 頭に浮かんできたのは、夫の顔です。 昨夜の疲労感混じりのものではなく、今朝家を出るときの、すっかり元気を取り戻した微笑みが、はっきりと。 「夫のことです………」 男性はやや間を置いて、「何かありましたか?」穏やかに先を促しました。 「確か……昨日は早めに帰ってこられる予定で、今日は朝から出勤でそのまま夜勤だと、昨日そう仰ってましたよね?」 「その通りです」 「けれど、MMMのことは話せなかったのですよね?」 「……はい」 「話もできないほどお疲れだったのでしょうか?でもあなたに会えたのなら、それもいくらかは回復できたと思われますが」 「………そうですね。夫は、昨日帰宅したときは疲れていたようでしたが、今朝出勤するときはすっかり元気になっていました」 「それはよかったです。では、何が……」 「ちっともよくなんか……ないんです」 「どういう意味ですか?」 「だって夫は………昨日も今朝も、私の淹れた紅茶を一口も飲んでないんですから」
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