第39話 不測の事態

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第39話 不測の事態

 ヴィラ・レ・ドニは、日が傾くにつれ、慌ただしくなっていった。  日没までに、フェルディナン・サンジェルマンと、シクスト・コルディエの姿を、劇場内に確認したいところだったが、劇場に配置された監視チームからは、劇場に動きなし、との報告がきていた。  マルセル警察の聞き込みで、デュヴァリエ伯らしき人物を、馬車に乗せ、劇場まで連れて行ったと、証言した辻馬車のキャブマンと、ミュリエルの劇場内に、それらしき人物がいる——ミュリエルは、フェルディナンとも、シクストとも、直接会ったことはなく、似顔絵に似た人物がいるとしか言えなかった——という報告だけが頼りで、確実に劇場内にいるという確証は得られなかった。    アンドレは確証が欲しいと思った。このまま監視を続け、確証を得られたところで、突入するという方法も考えた。しかし、作戦が長引けば、警官や兵士たちの集中力が落ちていく、ミスをしやすい状況にはしたくなかった。最悪なのは、犯人を取り逃がしてしまうことだ。  今晩、直ちに突入したとして、フェルディナンとシクストが、劇場内にいなかったら?奴らは突入を知り、姿を消すだろう。  アンドレは頭を悩ませた。どちらを選択してもリスクがある。結局、確証が得られないまま、アンドレはミュリエルの言葉を信じることにした。  アンドレは、言い知れない不安を抱えながら、綿密な打ち合わせと、作戦の確認を再度行い、万全を期した。  ミュリエルと、フィンと、モーリスは、不測の事態が起きた時の医療要因として、空挺母艦に乗り込み、仮眠室で休息をとることになった。号令がかけられたら、直ちに輸送機へ飛び乗り、現場へ駆けつけるためだ。  そうして、慌ただしく夜が更けていった。  夜空にくっきりと浮かびあがった素月が、マルセルを覆う夜暗を、明るく照らした。暗闇に紛れたい我々にとっては、あまりいい状況とは言えなかった。  アンドレは、劇場の正面玄関を苦々しく見つめる。悔しそうに口を歪めて、命令した。「総員配置につき、指示を待て」  数十の兵士と警察官が、足音もなく配置についた。アンドレの耳には、梟の鳴き声だけが聞こえてきた。ミュリエルが使役している梟だろうと推測した。  音量を最小限に絞った無線機から、配置完了の合図が送られてくる。  アンドレが突入の合図を出そうとしたその時、アンドレの目の前に、一羽の梟が木の上から、音もなく静かに降りてきた。パチリ、パチリと閉じられる瞳は、アンドレに何か言いたいことがあるように見える。梟は、くるり、くるりと首を横に振った——ミュリエルは動物に、人間の言葉を喋らせることができるが、それは、あくまで近くにいる時だけだ。遠隔操作で喋らせることはできない—— 「ミュリエル?突入は待てということか?」  アンドレの言葉に、梟はパチリと瞳を閉じた。アンドレが総員待機の合図を出す。 「エテルネルで何かあったのでしょうか?劇場に、異常は見受けられません」エクトルが訊いた。 「分からない、何か見落としがあったのか?」  アンドレが作戦の中止を告げるべきだろうかと考えていた時、航空母艦エテルネルと繋いでいた無線機が音を立てた。 「総員退避!爆弾を検知!直ちに退避せよ!」  アンドレが無線機に向かって怒鳴った。 「総員退避!退避!退避!建物から離れろ!エクトル!走れーーー!」  アンドレとエクトルも走った。周囲の木立から一斉に梟が飛び立ち、鼠たちが集団で逃げていくのが、アンドレの視界に入った。その時、地響きがするほどの大きな爆発音と共に、天高く火柱が上がり、周囲を煌々と照らした。  アンドレは唖然として劇場を見つめた。「——各隊、隊長、隊員の生死を確認せよ」まばらに返ってくる。返事をアンドレは、よく聞こえない耳で聞いた。「エクトル!耳が聞こえない!」アンドレが大きな声で言った。 「爆発音のせいです。一時的なものでしょうから、直ぐに元に戻ると思います」エクトルも、よく聞こえないせいで、大きな声になってしまった。  そこらじゅうで怒鳴りあう声がする。「ああ、もう、最悪だ」アンドレは頭を抱え、地面に座り込んだ。  空から海軍の輸送機が飛んでくるのが見えた。上空を数回旋回する。  アンドレは、降りるところを探しているのだろうと推察した。  アンドレが空を見上げていると、人が落ちてきた——安全ベルトを身に着けず、ロープも使わずに。アンドレとエクトルは、揃ってぎょっとした。  アンドレの目の前に降り立ったのが、ミュリエルだと分かると、2人揃って呆然とした。 「アンドレ王子殿下、ご無事ですか?」 「当然ミュリエルだよな。だって、飛行機から人が落ちてくるわけないもんな。ああ、驚いた」アンドレは地面に座り込んだまま、相変わらず大きな声で喋った。 「すみません。驚かせるつもりはなかったのですが、どうしても、降りられるところを見つけられないと言われたので、仕方なく飛び降りました。他の兵士たちは、少し戻ったところの丘で降りて、こちらに向かってくる予定です」 「え?何だって?ごめん、聞こえない。ちょっと耳が遠くなっててさ、大きな声で喋ってくれるか?」  ミュリエルは魔法で、アンドレの耳と、エクトルの耳を治した。「これでどうですか?」 「聞こえるようになったよ。ありがとう。それで、何だって?」 「降下できるところを見つけられなかったので、他の兵士たちは、少し戻ったところの丘へ降りて、こちらに向かってくる予定です」 「了解した。この爆発は?どうして分かったんだ?」 「29年前、ガルディアンは包囲された後、自爆しました。デュヴァリエ伯爵が、ガルディアンを崇拝していたのなら、真似をするのではないかと思ったんです。それで、念のため、鼠たちに爆弾を探させていました」 「それで見つけたってわけか」 「時限式の爆弾だったようで、見つけた時には、既に爆発数分前でした」 「梟が降りてきたときだな」やはり、あれはミュリエルだったのだと確信した。 「そうです。それからすぐに、カミナード艦長に、爆弾が仕掛けられていると伝えました」 「カミナード艦長が、不確かな情報を、よく聞いてくれたな」無線機から流れてきたのは『直ちに退避せよ』だった。そこまで言い切るには、それなりの確証がなければならないような気がした。 「カミナード艦長も、疑いを持っていたということではないでしょうか。だから、不確かな情報でも、安全を選んだということでしょう」 「そうかもしれないな」アンドレは劇場を見て言った。「あの惨状では、遺体の確認に骨が折れそうだ」 「負傷者はいますか?」ミュリエルは、無線機から返ってくる報告を聞いていたエクトルに訊いた。 「今のところ、全員無事です」 「それは、よかったです。怪我人がいたら、私のところへ来るよう、伝えてください」 「承知しました」 「ミュリエル!」フィンがミュリエルに向かって走ってきて、抱きしめた。「怪我はない?」 「私は大丈夫です」  モーリスがミュリエルの頭を、くしゃくしゃと撫でた。「いくらなんでも、突然飛び降りるな!一言言ってから飛び降りてくれ。フィンがお前についていこうとするのを、止めるのに苦労したぞ。殴って気絶させようかと思ったくらいだ」 「すみません」ミュリエルは、モーリスに怒られて悄然とした。 「それで、お前が飛び降りた理由は?何かあるんだろう?」モーリスが訊いた。 「突入作戦は午前4時、爆弾のタイマーも午前4時でした」ミュリエルが答えた。 「突入と同時に爆発するよう、仕掛けられていたかもしれないということか?」アンドレが訊いた。 「偶然の一致とも考えられますが、偶然が重なる確率は、いかほどでしょうか。おそらく、内通者がいると思われます」ミュリエルが声を落として言った。「突入班を道連れにしようと考えていたのなら、計画は失敗です。完遂するために、内通者は動くかもしれません」 「まずは、全員の所在を確認。持ち物検査、それから、フェルディナンとシクストに繋がる人物を徹底的に調べる——クソッ、誰を信じたらいいんだ?」アンドレが言った。 「アンドレ王子殿下、劇場の安全を確認します」ミュリエルたちと一緒の輸送機に搭乗してきていた、アラン・シャミナード上等兵曹が伝えた。 「シャミナード上等兵曹、カミナード艦長に、私が内密に話をしたいと言っていると伝えてくれ」アンドレは、シャミナードとカミナードを信じていいのか?と自問しながら言った。 「承知しました」シャミナードが小走りで、走り去って行った。  東の空が白み始めているのを見て、モーリスが言った。「今日は長い一日になるだろう。ミュリエル、遺体が運び出される。調べるとするか」 「はい、行きましょう」ミュリエルたちは爆発現場へと歩いて行った。
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