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聲の形
やっと、映画を観ました。
手話を習っているわりには手話の出てくる映画やドラマをあまり見ていません。
聲の形をきっかけに手話を覚えたいという人もいたので、ちょこっとは見ていました。
息子の薦めで原作を読んで、それから見直したら。
発見があって。
耳の聞こえない女の子、西宮が小学校に転校してきます。
その子を虐めていた主人公、石田が高校生になってから再会する話です。
石田は手話を覚えて、西宮とコミュニケーションを取ろうとする。
当時の人間関係と、再会してからの人間関係が描かれています。
ここからは私の解釈なので、ちょっと偏っているかもしれません
聞こえない西宮とコミュニケーションが取れている石田
聞こえる同級生とコミュニケーションが取れていない石田
軸が二つあって、どちらも苦しい。
登場人物みんな苦しさを抱えています。映画では深掘りしなかったところもあります。
言葉が通じるということと心が通じるということは=ではない。当たり前のことなのに、つい忘れてしまいます。
聞こえる人だから、聞こえない人だから
同じ聞こえない人同士を『わかるでしょ』と
ひとくくりにしたり
日本人だから
外国人だから
年が同じ同級生だから
わかりあえるでしょ?
なんでわかりあえないの?
という圧力を出してしまうことがある。
聲の形のテーマは
通じることよりも通じないことの多さではないかと思う
人と人は解り合えない
だからこそ手間や気遣いを費やすことを惜しんではいけない。
それでも諸々をふっとばして
ぶわっとわかり合えた気持ちになる瞬間があって
描かれているのは全部のものに光があたったような日常の美しさ。
水の描写が多いです。
ゆく川の流れは絶えずして~
同じキラキラとした水面を眺めていても同じものを見ているとは限らない
同じ言葉も同じように受け止めているかわからない
キャッチボールのように相対する事だけがコミュニケーションなのではなく
同じ方向から光を浴びたり景色を見たりしても
同じとは限らない。
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