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お日さまの光は平等だから、早起きしたら得
ふっと思い出すこの言葉は祖母の声で再生されます
でもそういうことをわざわざ言う人でもなかったので
ボソッと言ったのか
私が本か何かで読んで言ったことを祖母が同意したのか
捏造された記憶だと思います。
お金持ちにも貧乏人にも忙しい人にも暇な人にも平等なものって何だろう
悪い人にも良い人にも
数少ないけど自然のものは平等かもしれません。
気付くかどうかで。
許容できる受け皿に落ちてきたものを拾える仕組み
というものを色んな場面で経験します。
食べ物と味蕾とか
音の聞こえとか
外国語の単語を判別するとか
人の好意だとか意地悪とかマウントとか
なんというか、流れてしまう、流してしまってもいいものなのに自分のなかに受け皿があるとストンと落ちるように人気できる
その感覚は、受け皿のない人や別のロジックを持つ人には話しても伝わらないことが多いです。
反対に私の思いもよらない受け皿を持っている人もいる。その人のところには私の見逃した感覚が落ちているわけです。
人は違うから面白いんだなと歳を重ねると思います。
若い頃は同じ受け皿を持ってほしくて押し付けたり、取り上げたりしてました。
わからない感覚を無理やり掴もうとしたり。
ただ、自分にそぐわないものは手に入れようとしてもしっくりこない。
短歌に限定すれば、
あの人みたいな詠みをしてみよう!
と思ったところで、センスを真似るというのはつまらない行為です
ただ、わりと感性だけで詠んでた人が(行き詰まって)古典を学んだりして文語体に行ったりするのはありますね
音楽の世界でもあるんじゃないでしょうか。
古い曲がカバーされて新鮮に感じられたり。
ギター小僧がスタンダードな曲を弾いたり
時間に淘汰されたものは良い。
昔の曲が良いのではなく、良い曲しか残ってない。
和歌もそうです。
貴族全員が毎日詠みまくってた時代に
良いものしかわざわざ残しません。紙も貴重だから。
詠み人しらずの万葉の和歌なんて、多くの人が折に触れしがみつづけたスルメのような
引用されるだけの魅力があるから
すごいなと思います。ツールとして有能。
記録媒体が進化しているのに、人の記憶に残るものがどれほどあるんでしょうか、
スマホで動画も撮れるけど
私は十数年前の子供の様子を詠んだ短歌を思うと、蝉の声や暑さまで思い出せます。
出産前後も歌を詠んでいました。
脳内で
枕元にメモをおいて
たまたま、そういうことをしようと思っていました
その後はぱったり詠まない時期もあるので、なんだろう、本当に歌人の脳だった一時期かもしれませんね。社会と隔絶していたし。
人の感性にふれて、自分の感性の幅が広がったと思う瞬間はあります。
どんどん許容範囲が広くなります。
そういうことがあるから、面白いです
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