はじまりの宙

2/2
47人が本棚に入れています
本棚に追加
/87ページ
 儀式は、失敗した。  カケルの脳みそは元から出来が良くて、しばしば大人たちを驚かせていたが、出来すぎだったらしい。魔導書(アーカイブ)を導入する脳領域(スフィア)の規格が通常と異なり、継承は失敗した。  カケルは良い意味でも悪い意味でも、司書家(ライブラリアン)の規格外だった。 「どういたしますか?」 「……子供は、また作ればいい。それに予備(スペア)もいる」  父親アリトは何の感慨もなさそうに、カケルの脱落を受け止める。  アリトの言う予備とは、カケルの妹フウカのことだろう。 「規格外とは珍しい。後世にサンプルとして残すため、脳だけ取り出しますか」    親類の誰かが、ぞっとするようなことを言った。  反対の声は上がらない。  カケルは背筋が寒くなる。自分の家族が異常だということは、うすうす分かっていた。カケルだけが正常、いやこの世界では異常なのだ。 「処置が決まるまで、待っていなさい」    待つ訳がない。  自室に戻されたカケルは、逃げることにした。 「チルチル、僕の青い小鳥。基幹システム【高天原】にアクセスして」  相棒の思考補助端末(ナビゲータ)を呼び出す。視界の端に浮かび上がる、青い小鳥。仮想世界に接続できているということは、まだシステムにアクセスする権限を奪われていない。   「前に調べた、緊急脱出用の小型艇は、そのままかな?」 『検索結果照合。はい、差分の更新データはありません』    見張りもいない、今のうちに逃げ出そう。  カケルは封鎖されている扉を最上位の権限で強引に解錠し、部屋を抜け出した。  格納庫へ行って、小型艇を引っ張り出す。  小型艇はデータで見るよりも大きく、数人が乗るスペースがあった。二枚の翼を持った三角形の機体で、凹凸の少ないフォルムをしている。  もちろん、幼いカケルに飛行機を操縦する技術はない。自動操縦で、目的地を入力する。  目指すは、竜が棲む星。 「頼む、動いて……!」    小型艇は存外なめらかに動き出した。  自動でハッチが開き、射出口から飛び出していく。 『幸運を祈ります、マイマスター』    青い小鳥が、視界から消えた。  船団のネットワークから切り離されたのだ。チルチルは船団のシステムの中でしか生きられない。カケルの卓越した情報操作スキルも、船団のシステムあってこそだ。  自分は無力な只の子供に過ぎない。  そのことを理解したのは、迫りくる星の表面と、小型艇を追ってくる怪物の姿に気付いた時だった。 「あれが、竜……?」    爬虫類に、コウモリ型の翼が生えた、巨大な生物。  鋼の鱗が陽光を跳ね返して鈍く輝く。あの鱗は、金剛石(アダマス)のように硬く、吐息は溶岩より高熱で、船の外殻も簡単に突き破る。そのせいで船団は、星に着陸せず軌道上で対策を練っているのだ。   「ああ、これが僕に対する処置か」    道理でスムーズに脱出できたものだと、カケルは自嘲する。  脱出しても星に落ちる前に、竜に喰われる。しかし、考えてみれば、当然の帰結だ。怪物だらけの星に降りようなどと、カケル以外の誰も思い付かないだろう。  自殺行為を、誰も止めなかった。  それが、この結果だ。 「死にたくない……っ!」    アラートが鳴り響く小型艇の中、カケルはただそれだけ願って、眼を閉じる。  画面に大きく映し出される、竜のあぎと。  真っ暗になる視界。
/87ページ

最初のコメントを投稿しよう!