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同窓会の案内が届いた日
私たちの恩師はそう言いました。私たちの卒業するその日の、最後の帰りの会で。
黒板を背にして壇上にたつあの人の姿を今でも覚えています。あの人の笑った声を、今でもよく覚えています。
その人は、もういません。
もう、いないのです。
あの先生は、もうこの世にはいないのです。
同窓会の案内がポストに届きました。家のポストに届いたのです。
でも私は、私たちはみんな、その時ポケットに手を入れたのです。同窓会の約束が届いたのは、大人になった私たちのポケットの中だったのだと思います。
忘れもしない恩師の最後の話。
あの人は、未来の私たちに何かを残していきました。形のないものです。また会おうという、約束です。
そして、私たちが今、ポケットに手を入れて手にした同窓会の案内がまさにそれなのです。あの人はこの世を去る前に、未来の私たちが手にするだろう案内状を書いたのです。送ったのは別の人であろうとも、私たちにはあの人が書いたものだとすぐにわかりました。だって、六年間もあの人の字を見続けたのですから。
私たちはみんな違う道を生きてきました。自分で選んだ自分の人生です。
孤独になりました。一人になりました。
だって、人は自分のために生きていくのです。自分の選んだ道しか歩けません。
それがたとえ誰かに用意されたものであっても、誰かに命令されたものであっても。歩くのは結局自分なのです。自分一人の足なのです。
私たちはみんな忘れませんでした。あの卒業式の日のことを。恩師が言ったあのポケットの中の話を。
あの日には何も入っていなかったポケットに、いつか何かが入れられる。そう信じて、手をポケットに入れました。
まだ来ない、まだ来ない。待ち遠しくもありました。
私たちは。
私たちは、その時が来るのを待っていたのです。
あの人が望んだ、私たちが夢に見た再会の瞬間を。
死んだ人とはもう会えない。そんなこと、誰だって知っています。私たちだって。
それでも私たちは望むのです。あの人が望んだように。未来でまた会えると信じて、私たちは生きてきました。生きてきたのです。
死んだ人と会えるはずがない。でもきっと会える。私たちはその意味を知っていました。理解していました。
だから同窓会の案内を手にした時、思ったのです。
「自分の番まであとどれくらいかな」
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