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生々流転
今回は、この前観てきた展覧会について、書きたいと思います。
この展覧会は太っ腹(笑)で、写真を撮っても良い、SNSに上げても良いということでしたので、写真も少々載せていきます。
「ちくごist 尾花成春」展です。
私はこの展覧会で、初めてこの画家さんを知りました。ちなみに、「おばな しげはる」さんです。
九州を中心に活動されていた画家で、その中でも主に筑後地方の風景をよく描いています。
お父様は「尾花光二」といって、アララギ派の歌人だそうです。お父様の短歌が書かれたノートや短冊も、一緒に展示されていました。
さて、展覧会の感想ですが。
まずは何枚か、絵を見てみて下さい。
私が撮った写真を適当に組み合わせただけですので、大きさ・描いた年代などはバラバラです。見辛くてすみません。
上段左から、以下の絵になります。
「石膏のある静物(A)」「馬の骨のある静物」「野」「海へ向かう人」「森の中で―神の手―」
下段左からは以下の絵です。
「海 瀬戸内海(屋島より壇ノ浦)海に対話する」「歌」「交響詩海と空と三部作(一部)」「花に語る」
この方、絵によって驚くほどに、タッチやモチーフ、描き方が変わって行っています。描くテーマごとに、描き方を変えている。抽象だったり具象だったり、写実だったり、描く内容も変わる。ここまで変わる方はあまり知らないなぁ、と思いました。
一つの描き方を一生をかけて追求することも大変だと思うのですが、それまで行っていた絵の描き方を変えるということも本当にエネルギーのいる、大変な事だと思うんです。変えることによって、今まで積み上げてきたテクニックが使えなくなることもある。それでも変えざるを得なかったのか。テーマに合う描き方をしないと、描き続けられなかったのか。
その辺りについては、言及されていませんでした。どうなんだろう。
文章で言えば、テーマごとに文体を変える感じなのかなぁ。できなくはないかもしれないけど、とても難しいと思います。
個展なのに企画展の雰囲気もある、とても面白い展覧会でした。
この中で、私が心を奪われたのは、尾花さんの言葉の数々です。この方、スケッチブック等に色々言葉を書き残されているんですが、ある絵に添えられた詩がとても素晴らしかったので、紹介します。
「筑後川放水路風景(童氏丸にて)」
この方の目には、筑後川の枯野の風景がどんなふうに映っていたのかな。厳しい自然なのか、触れることを拒む神聖なものなのか。この最後の三行が美術館前のポスターに書かれていたんですが、一気に心を掴まれました。
もう一つ、これはこの展覧会のポスターに「花に語る」の絵が使われているんですが、そこに添えられていた言葉。
「画面に一つの花(カラー)はあるが
それを描いているのではない
世界、存在」
これもまた、とても良い。できれば、ネットで検索して、きれいな画像の「花に語る」を見てください。素晴らしい絵です。
この方、途中から画面に黒を多用して、黒背景に絵を描くようになるのですが、その黒がまたテーマによって少しずつ変わっていて面白かったです。
初期の黒背景の絵は、黒がまだ油絵の具の艶のある、テラっとした感じの黒なんです。
途中から艶のない重い黒に変わるんですが、そこに細かい金属?ガラス? が混ぜてあって、ところどころがチラチラと光る画面になっていました。その光が、夜空に浮かぶ小さな星の光のようでとても美しい。
最晩年の「花に語る」の頃になると、全く艶も光もない黒に変わる。学校の黒板の、艶のない感じ。あれが一番近いと思うんですが、それが黒で、かつ単純に黒塗りではなく赤が混ざっていたり、盛り上がっていたり、斑があったりと、光を吸い込んだ黒という感じでした。そしてそこに、白い花が佇んで際立っていながら、光のない黒が全体を包み込んでいる。
……これは、文字では表現が難しいので、「花に語る」の絵を観てくださいとしか言えない(笑)。
この展覧会を見て思ったのが、変わっていいんだ、ということ。
変わるということは良くないのではと思うこともあるんですが、変わらないことも素敵だし、変わっていくことも素敵だと思いました。
生きているんだから、生々流転することは当たり前で、成長と進化しつつ牛のように(by 夏目漱石)歩いていく。そのことを教えてもらった展覧会でした。
ちなみに、今回は図録を買いました。
どうしても手元に置いておきたかったのと、お安かった(笑)ので。時々見返しています。
2024年6月18日
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