メガネ・コンプレックス

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メガネ・コンプレックス

 私は目が良い。  1キロ先のシマウマが見えるというほどではないが、運転免許の更新では、メガネやコンタクト等の視力矯正は必要ない。  日本では、約半数の方々がメガネを使用しているらしい。確かに、周りを見回したら、メガネを掛けている人がそこにも、ここにも。  また、メガネ屋さんは、ショッピングモールには必ず入っている。それだけ、メガネの需要はあるのだろう。  私は生まれてこの方この視力なので、メガネを掛けたことがない。  だからなのか、幼い頃からずっとメガネに対する憧れがある。できることなら、積極的にメガネを掛けたかった。でも、目が悪くないのにメガネは掛けられないし、普段に伊達メガネを掛けることもなく、今まで過ごしてきた。  憧れのメガネ。  その理由は単純で、「頭が良さそうに見える」からだ。小学生並みの理由だが、メガネの人を見るたびに、やっぱり賢そうと思ってしまう。  この憧れを抱いたまま、メガネを掛ける機会もなく大人になった。  ちなみに、タイトルのメガネ・コンプレックスは、「メガネコンプレックス」なのではなく、「メガネを掛けている人に対してコンプレックスを持っている」という意味だ。  メガネを掛けている知人・友人からは、メガネに対しての不満も色々聞く。  「雨の日にレンズに雨粒が付いて大変」「温度差でレンズが曇る」「マスクをしていると呼気でレンズが曇る」「ファンデが取れてしまう」等々。  メガネが嫌でコンタクト、という人が多いのも知っている。  「メガネ、大変だよなぁ」とは思う。でも「メガネ、いいなぁ」と思う気持ちは止められない。あの、メガネを掛けた時の、知的な雰囲気が良い。そして、メガネを外した時の、素顔にはっとする感じも良い。  よくある漫画表現で、メガネを外すと目が「33」になっていたりする。私はそれは少し違う気がしている。  レンズのフィルターが外れるからか、メガネを外した人の目はシャープで、視線が鋭くなったように感じる。焦点を合わせようと目を眇めているのにも、ドギマギする。  また、メガネを外す仕草や、ずれたメガネを上げる仕草、レンズを拭く動作も、もう全て絵になる。ちなみに、メガネを上げる仕草では、手で顔を覆うようにしつつ中指でブリッジを押し上げる、というのが好みだ。  とまあ、ここまでメガネ愛全開で語り尽くしているので、少し我に返ってみる。ちなみに、こんな私でも、まれにメガネを掛けることがある。もちろん伊達メガネ。  それは、ものもらいができた時だ。目が腫れているだけで身体はなんともないのに、重病に見えてしまうので、カモフラージュとしてのメガネだ。  ものもらいで目蓋は腫れるし・痛いし・痒いけれど、伊達メガネを掛けられるのでテンションが上がる。その時は、前に挙げたお気に入りの仕草を行い、こっそり一人で悦に入っている。側から見ると、ただただニヤニヤしている変な人だろう。  で、ものもらいが治ると、用のなくなった伊達メガネとはサヨナラだ。次は、いつこのメガネを掛けられるだろうかと、少しの寂しさとともに。ああ、常にメガネと一緒にいられる人が羨ましい。  さて、この頃はこんなメガネ好きの私に、希望の光が見えてきた。  裸眼のまま、モニターの小さな文字を目で追いながら。この文章をポチポチと打ち込みながら。  ものもらいを待たずとも、そろそろ私もメガネを掛けることになりそうだ。ピントが合いづらくなった目に、目薬を差す。年を重ねるのも悪くない。  さて、どんなフレームにしようかと、ワクワクしながら一人ほくそ笑んでいる。 2024年1月8日
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