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『このノートを見つけた人は、一番きれいだと思うものを缶のなかに入れること』
その日から毎年夏になると、一番きれいだと思うものを缶に入れるようになった。海の浜辺で見つけた貝殻、ラムネ瓶のなかのビー玉……
年を経るほど缶のなかは色んなものであふれていった。何かを入れるたび、未知夏が喜んでくれるような気がした。永遠に終わらないゲームを続けてるような気持ちだった。
『あの廃ホテル、とうとう取り壊されるらしいよ』
高校生の最後の夏、結唯からそんな連絡がきた。
『東方、毎年夏の終わりにあのホテルに行ってるでしょ』
続けてそんな言葉が増える。
それは本当だった。僕は毎年、「きれいなもの」を入れにホテルに行っていた。ずっと変わらずベッドの下に隠してあるアルミの缶に。
『いつ取り壊されるの?』
結唯の質問を無視する形で僕は訊きかえしていた。
『詳しい日は知らないけど、もう行かないほうがいいよ』
そう言われても行かないわけにはいかない。
結唯と話した数日後、僕は廃ホテルに行った。以前よりたくさん立ち入り禁止の柵がはりめぐらされている。なかに誰かいるかもしれない。見つかったら怒られるだろう。さいわい、ホテルはまだ壊されていなかった。
すっかり行き慣れた部屋までの道のりを歩く。歩きながら、これは償いだったんだと急に気がついた。未知夏の苦しみを知らなかった自分、もっとよく話を聞いてあげられなかったこと、未知夏を助けることができなかったことへの。
あのとき、僕は小学生だった。そんな自分が、たとえ未知夏の苦境を知っていたとしても役に立ったとは思えない。だからそう思うのは、僕のエゴでしかない。それでもよかった。ずっとこの先も未知夏の死を悼み続けていたかった。未知夏と同じように、僕も彼女の存在に惹かれていた。
(初恋だったんだ)
今ならそう分かる。
かげろうのように消えそうな、淡くて苦くて悲しくて。一瞬の思い出が、すべてが、なくしたくない宝物だった。
星空の部屋にたどり着く。
アルミの缶はまだそこにあった。何度も眺めたノートも。毎年入れた「きれいなもの」も。他人からしたらガラクタに見えるだろう。それでも、ずっと未知夏のゲームを続けていたかった。そうすればこの先も彼女と繋がっていられる気がしたから。
しばらくボーッとしていた矢先、ものすごい轟音が響いて、建物がくずれる音がした。大きな窓がバリバリ割れる。同時に土埃が舞った。取り壊しが始まったと気づく。
(僕はいつもそうだ。いつも、あと一歩のところで現実に取り残されるんだ)
そんなことを悠長に思ってる場合でもなかった。天井がくずれ落ちてゆく。大きな瓦礫が降ってくるのを人ごとのように眺めた直後、プツリと意識の回線が途絶えた。
目覚めたとき、一瞬自分がどこにいるのか分からなかった。白い天井が映りこむ。知らない部屋。なじみないにおい。頭には包帯が巻かれ ていた。首をうまく動かせない。ぼんやり窓のほうを眺めて、ようやく病院だと気づく。
廃ホテルの部屋のなかで意識を失ったことは覚えていた。目の前が真っ暗になった瞬間、これでもう終わりだと思った。ゆるやかな諦念のなかで、それも悪くないかって思っている自分がいた。それでまた見えないどこかで、未知夏と再会できるなら。
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