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 愛美(あいみ)を見た気がした。  海沿いを走る、路線バスの車窓。  惣太(そうた)はその日、有休を利用し、伊豆のとある港町を訪れていた。  I駅で降り、温泉街の一角にある小さな宿に向かう。  早春の光を反射する海を眺めていた惣太の視界を、不意に横切った一人の女性。  長い黒髪の彼女は、堤の上に腰掛け、海を眺めているふうだった。 「愛美!」  思わず声が出る。  バックミラーの運転士の目が、チラッと惣太を見る。そんな事には当然気づかず、遠ざかる女性の姿を追う。 (愛美……?)  さっきはそう見えたが、一瞬のことで自信がなくなってくる。  反射的に降車ボタンを押していた。『ブーッ』という音に続き、 「はい、次、止まります」  運転士の事務的な声がした。 「びっくりしたよ」  斜め前の席のお婆さんが、半身になりながら惣太を見やる。乗客は、惣太とそのお婆さんだけだ。 「あっ、すいません」  我に返った惣太が、お婆さんに軽く頭を下げる。 「いやいや、いいんだけど。お兄さん、見慣れない顔だね」  いかにもお喋りが好きそうなお婆さんは、ニヤッと笑って、 「病院に行くのに、週に3日はこのバスに乗ってるんだけど……」  惣太には全く興味のない話を続けてくる。  大卒1年目の若さに加え、人懐こくて聞き上手な惣太は、職場でもおばちゃんに人気だ。 「……そうなんですね。それは大変ですね」  なんとか笑顔を交えつつ、お婆さんの話を聞き流しているうちに、バスが停車し、プシューッと扉が開く。 「ここで降りるのかい?」  訝しげなお婆さんの声を背中に聞きながら、電子マネーをかざして飛び降りた。  バスが走り去ると、そこは小さな船着き場と数軒の家が見えるだけの集落だった。 (確かに、お婆さんも不思議に思うよな……って、そんなことより!)  今バスが走ってきた県道を逆方向に歩き出し、さっき女性が座っていた堤を目指す。  山が海岸までせり出し、曲がりくねった道を速足で歩く。  バスではあっと言う間だが、歩くと結構あった。しかし、辿りついた堤に、女性の姿は、もうなかった。  女性が座っていた辺りに腰を掛ける。そして、海を眺めながら、愛美のことを考えた。
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