手を伸ばせば届く距離

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 台所に着くと、すでに中ではいつもの倍以上の人数の下働きがあくせく料理をしていた。 その慌ただしい雰囲気に驚いていると、えんじの着物を着た二足歩行のたぬきが鬼の形相でやって来る。 下働きを束ねている美和さんだ。 「すずううぅーー!! どぉこで油を売ってたんだい!」 「す、すみませんっ」  美和さんは竹籠に食材をいっぱい入れて茶色い毛並みの手に抱えている。 鯛や烏骨鶏の卵、いっぱいのお砂糖など普段はとうてい食べられないようなものばかりだ。 こんなに豪華な食材を用意するなんて、一体あの方はどんなお客様なのだろう? 「ぼさっとしてないで蔵から餅米持ってきなこのグズ!!」 「え? 年明けのお供えにとっておいたものですけれど、良いんですか……?」 「なに口答えしてんのよ!?」 「はい、今すぐっ」  私は焦って蔵へ向かった。 勝手口から出てすぐ隣にある蔵は十五畳ほどの大きなものだけれど、備蓄はもうわずかしかなくどこもかしこもがらんとしている。  子の一族は干支の中で最も権威がある……とは言っても実際はこのように経営状況は危うかった。 変化もできない私が生まれたことで綺鼠家は信用を失い、市民からの献金が減ったからだ。 「みんなが私にキツく当たるのも、無理ないことですよね」  私はそう呟きながら、よいしょ。と餅米を棚から下ろす。  それでも昔はここまで生活は酷くはなかった。 当主であるお父様は上手くやりくりして厄除けや豊穣の祭事をきちんと行いながらも、みなで力を合わせ明るく慎ましく暮らしていた。  けれど、お父様は数年前に不治の病にかかりあっという間に亡くなってしまった。 お母様だって私が十歳の頃に同じ病で亡くなってしまっている。 他者を受け入れない綺鼠家は、近親者との交配を続けていたせいで体の弱い者が多いのだ。  更に生活が一変したのは叔父様が跡を継いでから。 叔父様は綺鼠家の品格を保つためだと祭事には毎回他家の十倍以上のお供物を用意した。 衣装や道具ももちろん毎回下ろしたての最高級品。 そうした経営は長く続くわけもなく、この家は崩壊の一途を辿っていた。 「……あ」  そうか。 もしかしてあのお客様はこの状況を抜け出すための叔父様の秘策? そうだ、だってそうでなければこの豪華な食材の説明がつかない。  ならば私も腕によりをかけて、お客様が喜ぶご馳走を作らなくっちゃいけません!! 「日陰者でもお天道様は必ず見ている。勤勉に生きよ」  お父様がよく言っていたことを口に出して、私は大きく頷いた。
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