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「やれやれ、とんだ茶番でしたね」
プールバーから職場への帰り道、少し足早に歩く十六夜の真横に並ぶ。
「それにしても『カメラの向きを変えた』ということは、最初から『すり替えがあるかも』と疑っていたんですよね。何処で怪しいと思ったんです?」
すり替えそのものは素知らぬ顔をして横目で確認していたのだろうが、分かっていなければ注意をするのは難しいはず。
「あの神月って野郎の顔を見た瞬間からだ。あいつ、ヒゲとウィッグで誤魔化してはいたがテレビで観たことがあってな。アメリカではちょっと名の知れた手品師だよ」
「て、手品師ぃ?! じゃあ、あの『一撃で全部の玉をポケットに沈める』というのは?」
「ああ、手品だ。神業なんかじゃあない。多分、あの台に電磁石の仕掛けか何かあって、中心に鉄を仕込んだ玉を高速演算できるコンピュータで精密にコントロールしてたんじゃねぇかな。そうでもしなきゃ、確実に一撃で仕留めるなんて不可能な話だ」
確かに、言われてみればあまりに不確実性が高すぎる。玉は丸いといえ真円ではないし、重心も中心とは微妙にずれるだろうから転がり方も一定ではないだろうし。もっといえば室温や湿気によっても玉の軌道に変化が生じるはずだ。
「エッジ付近にきたら急速にブレーキがかかったりとか、玉の動きが不気味だったしよ」
そう吐き捨てる。何という動体視力!
もしかしたらあの台は元々何か違法賭博用にでも作られたものかも知れない。そして、狐村がそれを知っていて利用しようと? ……勝手な憶測で物は言えないが。
「瞬間記憶能力者そのものは稀に実在するから、全ての玉を言い当てられる可能性もなくはない。そこで、それを逆手にとろうとしたんだろう。神月は手品が二段構えなら騙せると思っていたんだろうな」
いくら視認能力が高くとも、意識の外ですり替えをやられたらどうにもならない。悔しいが私のように。
そして狐村も『それ』を悟られないよう慎重に演技をしていたと。まったく食えない二人組だ。
「だから神月がすり替えに全神経を集中した瞬間を狙ってカメラの向きを変えて録画モードに切り替えたんだよ」
そうか、やっと分かった。
2番目以降の画面を一切見ようとしなかった十六夜が最初の画像だけ一緒に確認したのは、操作方法を瞬間記憶するためだったのだ。視線を逸したまま、指先の感覚だけで素早く録画モードにするために。
……まったく、どっちが詐欺師だか分かったものじゃない。
「人間というものはさ」
十六夜が歩くペースを少しだけ上げた。
「自分の仕業を己のポケットに隠せるものだと思い込むんだ。だから犯罪が絶えない」
初期のビリヤード台は今と違って落ちた玉がそのまま留まるようになっていた。それが『ポケット』と呼ばれる所以。
しかし現代では回収の手間を省くため勝手に戻ってくるただの管になった。……証拠が残らないのだ。
しかし私たち警察はそのポケットに落ちる瞬間を見過ごしてはいけない。そのまま沈んだら証拠不十分なのだ。
「早く帰って、娘の宿題をみてやる約束なんでな」
今日の功労者はそう言ってトレンチコートのポケットに両手を突っ込み、また少しだけ早足になった。
完
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