12人が本棚に入れています
本棚に追加
第二章 よろず探偵事務所にて。
「やぁ!久しぶり、宇宙。急に呼び出して、すまなかったねぇ。
寒かったろうに……。さぁ、早く中へ入りなさい」
只今、目的地の〈よろず探偵事務所〉に到着した宇宙。
ココ、事務所内の玄関前にて。
先程の肌寒かった春夜のおかげで、現在冷え切った身体。それを溶かしてくれるような部屋の暖かさに、冷たくなっていた手先がじんわりと体温が上がっていくのを感じる。
この事務所は、二階建ての雑居ビルの中。と言っても、一階は二台分の駐車場スペースとして利用されている。この細い裏道に本来は車が通れないし、入り口から入る事も難しい場所。
それなのに、時々車が置かれている。
右隣にある約170センチメートルの高さがある木製のドアが人知れず設置されている。見た目でカモフラージュだと思うくらい壁と一体化されている古びたドア。ソレには、仕掛けがある。
〈三回ノックをしなければならない〉というルール。
コレは数年前、〈一般厄除師試験〉へ向かう直前に彼の父親から言われたアドバイス。
一度もノックをしなかったり、〈三回以外〉のノックなどを、好奇心で実験をしたら無反応。
ドアノブを回しても、ピクリとも動かなかった。
全くの見た目だけの扉という無機質なその物の一つ。
(なんて面倒なルールだ!)と、この時の宇宙は内心萎えた。十分後に二階へ辿り着き、社長である〈公主〉に挨拶した直後の事だ。
「……申し訳ないね、宇宙。〈面倒なルール〉を制約しまって。
これはね、【探偵事務所を必要としない人が迷い込んでこない為の防止策なんだよ。】
理解してくれると……、助かるけどね……」
ーーーー血の気が引いた瞬間だった。
この時点で宇宙は、挨拶以外を発言をしていないからだ。
そんな事があって以来、彼の記憶の中で戒めとして奥深く〈記録〉されている。なので、現在進行形で脳内で発生しつつある別件に対する疑問の湧水を蓋するのに必死だった。
猫のように好奇心旺盛な彼。
疑問を聞きたくて。そして聴きたくて、堪らない。
この経験こそが、一つの【死】を突破できる。
彼、神龍時 宇宙の人生において、確信的なモノを悟ってしまった。
人間の人生には、二つの【死】がある。
⚪︎物理的な【死】
⚪︎〈退屈〉という名の無気力な【死】
前者は誰しも、避けられぬが。
後者は、行動次第で百八十度、真逆に変える事を彼は知っている。
その一つが、ーー〈好奇心〉というサプリメント。
好奇心は、脳の活性化だけない。【本人の人生をも、変える薬だ】
例えば、ネットでSNSを見ていたらオススメの欄に他人が投稿した銅鑼焼きを偶然、視界に入ったとする。
投稿者の欄に〈幻の卵を使用した〉、〈長蛇の列だったけど並んで待った価値はあった〉などの言葉が記載されていると、気になってくるものだ。
どんな味なのか?銅鑼焼きの独特の柔らかさは?しっとり系なのか?ふんわり系なのか??
中身の羊バター餡子は、こし餡なのか?そもそも羊バターとは何ぞや?美味しいのか??
そして普通のバターとどう違うのか??など、想像力が風船のように膨らむ。そこで、
「今度の休みに行ってみるかぁ……。その前に、今の仕事を終わらせるか!」
という前向きな一つの結果ができあがる。
それが〈好奇心〉という人生の安定剤。
好奇心は、本人を前向きにさせる栄養補助心なのだ。小説家の彼にとっては、コレは日常茶飯事でルーティンの一つである。
話しは現在に戻すが、玄関入って左前奥に応接間として設置されている二人掛けの北欧ソファーが対。
暖かみのあるベージュ色に、さらりとした肌触りのファブリック素材。共に、天然木を素材とした支柱の脚が特徴的だ。
そして、それらの間にソファーと同じ長さの長方形のガラス机が置かれている。ガラスは毎日拭かれているのだろう、光の反射で通常見える指紋が見えない。そのおかげか透明感が増して水の水面上を見ているかのよう。
(いつ来ても、座り心地が良いんだよなぁ……。そろそろ今家にある、中古屋で五十万円から値切って、値切りまくって十七万円で購入したソファーが、年期が入ってきて座るたびに軋んだ音が聞こえるんだよねー)
これくらいは話しても良いだろうと、心の声を漏らしてしまう。
「……ふふっ、ありがとう!宇宙。
コレはね、〈特注品〉だからねぇ。知り合いに頼んで作って貰ったんだよ♬」
「そうなんですかー!どうりで、座り心地が良い筈ですね〜。
僕も、オーダーメイドで作れるようにお金を貯めないとなぁ」
因みに、この会話での彼。神龍時 宇宙は、公主の返答の前に〈何も言葉を発していない〉。
ただ、ただ、心の声のみ。
「さあ、宇宙。夜遅くに呼んで悪かったねぇ〜、先程入れた温か〜い緑茶を飲んで身体を温めなさい。今回はのぅ、〈ジンジャー・ティー〉というハイカラな緑茶なんだよ。
あと今日の午後に、日本橋にある知り合いのお店で買って来た、お稲荷さんもお食べ。
これは出汁が効いてて美味しいって評判でなぁ、若い子達に人気らしいからのぅ。さぁ、たんとお上がり」
柔らかめの御年配の男性と誰しもが思わせる口調。
だが、宇宙の目の前に座って会話しているのは〈若い青年〉だ。
正確には細身の身体に、陶器のような中性的な顔立ちは、美人の部類に入る。女装しても違和感のないくらいに。十代後半、十七か十八歳くらいの見た目の若人の彼。
猫っ毛のような癖毛とオレンジ色に近い茶髪が、電灯の暖かみのある色に当たり艶やかに天使の輪ができている。これだけでも、現代っ子と言っても良いくらいだ。
それなのに、笑顔で普通に老人口調の会話している公主。新人スタッフからしてみたら、違和感の塊そのものだ。
宇宙は、新人でも何でもない五年以上働いているスタッフ。業務委託者にすぎない彼。
だから、今はこの現状には慣れてしまっているし、驚かない。寧ろ楽しんでいる彼がいるのだ。
社長である公主が、用意してくれたお茶を一口含み、舌の上で転がす。口の中に優しく広がる生姜の香りを舌鼓し、緊張が解れる。
「コレ、美味しいですね〜!
緑茶のまろやかさの中に生姜のピリッとした控えめ、かつ引き立つ辛さのバランスが最高ですね!!」
あまりにも予想以上の仕上がりの味だったのか、つい本音が漏れる。更に彼の感想は続く。
「あ!このお稲荷さんも美味しいですね〜!
昆布と鰹の二重出汁が、油揚げに深く染み込んでいて噛む度に、ーじゅわぁッて優しい甘さが
広がりますね。
最後、静かに余韻が残って何個でも頂きたいくらいです!」
口の中で噛み締める度に油揚げだけではなく、お米一粒一粒にも出汁が染み渡っている。細やかな出汁の旨味の調律。
穏やかに一体化されている、一つの代物。
その商品を食べているのでは無い。これを作った職人の丁寧な作業言わば、〈芸術品を食している〉と言った方が良い。
それくらい価値のある日本の国宝品だと、宇宙は心底思った。
「あれ!?このお稲荷さん……珍しい……。
温かいんですね!!普通は、冷たいお稲荷さんの販売が多いのに……!!おかげで芯から冷えた胃腸が温かくなってきましたよ。
今度、日本橋に行った時に購入したいなぁ。どこのお店なんですか?」
本来の目的を忘れそうなくらいの絶品を舌鼓をし、満足したのか。つい本音が、ちらほらと出てしまいつつの彼。
そんな彼に公主は、目の前の青年からの〈言葉〉と〈心葉〉に余程嬉しかったのか、少年のような笑顔で自身の紅茶が入ったカップに口をつける。
最初より、穏やかになった雰囲気に宇宙の気が緩む。
「あぁ……!気に入ってくれて良かったよ。私にとって、ココではたった一人の友人だからね。本人が聞いたら、大変喜ぶよ。
あとコレはね……、君が無事に帰って来てくれたら教えてあげるよ。さて……、」
ーー そろそろ、シゴトの話しを始めようかね。
突然、変わった。重くのしかかる冷たい空気。
公主の笑顔が消え、緊張感が生まれた室内にて。口調は穏やかなまま。精神的な温度が絶対零度に変化した。
そして、ソレに察した彼。心を閉ざし、思考内をビジネスモードへ瞬時に切り替える。
ここで宇宙のリラックスタイムが、終了となった。
最初のコメントを投稿しよう!