勇者専門の娼婦

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 まだ地上の覇者が人間ではなかった頃のお話。  魔物や獣、ドラゴンたちが脆弱な人間を襲い、ささやかな幸せを奪っていた。か弱い人間たちの中にも、この世の中をどうにかしないといけないと思う、使命感の強いものや戦おうとする意志を持つものが生まれる。それが勇者だ。  その勇者に人一倍あこがれと尊敬の念をもつ乙女がいた。彼女は娼婦だった。 『俺、勇者なんだ』  その一言でカトリーヌは胸がいっぱいになり、奉仕を始める。勇者からの支払いは受け取らなかった。他の娼婦たちは、またタダでやらせたとあきれ返っていた。 「あのさあ、カトリーヌ。さっきのが本当に勇者かなんてわからないでしょ?」  古株のローラがタバコの煙をカトリーヌの顔に吹きかけながら言う。 「目が輝いていたし、西のドラゴンをやっつけてくれるって言ってたわ」 「ドラゴンねえ……」  確かに西のドラゴンがいなくなれば、炎で焼けた土地が潤い、作物が増え、人々が飢えることが減るだろう。  赤毛のミランダが、客に手を振り見送りながらあくびをしながらやってきた。 「あー疲れた。カトリーヌはまた勇者に無料奉仕したの? あたしなんか、今の客は商人だっていうから多めに吹っ掛けてやったわよ」 「やるじゃない」  ローラは感心したが、ミランダはうんざりした表情を見せた。 「しっかりもらったわ良いけど。やっぱり商人ね。がめついったら! けっこうなサービスをさせれられたから疲れちゃったわよ!」 「おやおや」  二人のやり取りを聞きながら、勇者はやはり人格者だとカトリーヌは実感していた。勇者は彼女に決して過剰なサービスや無理強いをさせることはなかった。  満足そうな顔をするカトリーヌに、ミランダは嫌みを言う。 「そもそも勇者ともあろうものが娼館になんかくる?」  ローラもうんうん頷いている。 「ほんとほんと。こんなところで女を買おうとするかしらねえ」  カトリーヌは全く疑うこともなく言い切った。 「最後の戦いの前に、一時の安らぎを求めているの! きっと!」   ローラとミランダは何を言っても無駄だと、ぷいっと自分の部屋に戻った。二人の後姿を見ながら、心配してくれていることに感謝しつつも『勇者』への奉仕をやめることはなかった。  数年も経つと、あちこちで勇者たちの活躍のおかげか、世界が平和になってきた。もう魔王やドラゴン、巨人などに脅かされることが亡くなったのだ。そして『勇者』という職業は消え、ずうっと先には伝説の存在となっていくのだろう。  もちろんカトリーヌの店に勇者が訪れなくなった。 「勇者様……。お会いしたい。今頃どうなさっているのかしら……」  最後に勇者を名乗った客が戦いに向かってから、カトリーヌの容色も衰えた。かつては勇者を名乗りただで遊ぼうと思うもののいたが、今のカトリーヌにはそういう客さえつかなかった。 「なにぼんやりしてるの? 早くお使いに行ってきてよ」  若い娼婦のクロエがカトリーヌに用事を言いつける。客が減ったカトリーヌは、金もなくいくところもない。雑用と掃除をすることでこの娼館においてもらっているのだ。 「はい! ただいま」  いそいそとお使いに出かけるカトリーヌを見て、若いクロエはあざ笑うような、同情するような複雑な表情を見せる。 「勇者に奉仕だなんでばかばかしい。お金こそ裏切らないのに」  かつてカトリーヌに意見していた娼婦たちは、しっかり小銭を貯め出ていったり、適当なところで妥協し水揚げされて出ていった。  カトリーヌが出掛けてしばらくすると、一人の男が娼館にやってきた。ほこりっぽいマントと皮の帽子を身に着けた旅人だった。 「あらあら、まだ日が高いのにもう?」  クロエが男の肩に腕を回そうとすると、男はさっと身をかわして「ここにカトリーヌという娘がいるはずだが」と帽子のつばの下から鋭い目を見せた。 「娘? ああ、おばさんね。いまお使いに行ってるからもうしばらくすると戻るわ。それまでいかかが?」  娼婦の鏡のようなクロエは、さっきかわされた腕のことを気にせず媚びた表情で男に近づく。 「すまない。カトリーヌに会いたいんだ」 「ふーん。あっそ。じゃそこで待ってて」  クロエは自分の誘いに乗らない男に対して気を悪くしたが、なんの用事があってカトリーヌに会いに来たのか気になって離れたところに座り様子を見ていた。また店の扉が開く。 「カトリーヌいるかい?」  さっきの男と似たような恰好をした男がまた一人現れた。クロエは同じことをしたが、相手も同じことをした。 「まったく。なによっ」  舌打ちをしていると、また同じことが起こった。こうして娼館の狭い待合室に7人の男が詰め込まれた。男たちは共通の話題があるようで、盛り上がっている。 「変な人たち……」  早く帰ってこないかしらとため息をついていると、使いを終えたカトリーヌがもどってきた。 「遅かったじゃない!」  いつもより機嫌の悪いクロエに「ごめんなさい。お店が混んでて」とカトリーヌは頭を下げた。 「お客よ」 「お客? まあ! 久しぶりだわ」 「ああ、違う違う。そういう客じゃないの」 「え? 」 「ほんとうにただの客。あんたにとっても会いたがってるわよ」 「まあ。誰かしら」  身体のほこりを払い、暗い鉛色の髪をなでつけ待合室に入る。 「お待たせしました。カトリーヌです」  ざわっと騒めいた後、男たちがカトリーヌを囲む。一人一人の顔を見ると、歳はとっているがみんな見覚えがあった。 「あ、あなた様方は! えーっと西の勇者様に、赤の勇者様、俊足の勇者様―」 「よく覚えていてくれたね!」「久しぶりだ!」「ドラゴンをやっつけてきたよ」「もう安心して」  男たちはかつてカトリーヌが奉仕した『勇者』だった。彼らは使命を終えた後、みんなカトリーヌに会いに来たのだ。そして自分の妻にしたいと思い銘々贈り物を携えていた。 「ぜひ僕の妻に!」「君のおかげであの魔王を倒す力が湧いたんだ!」「この黄金の腕輪を誓いのしるしに!」  勇者たちの求婚にカトリーヌは大粒の涙をこぼす。 「勇者様たちにお会いできただけじゃなくて、こんなあたしを求めてくださるなんて」  涙をぬぐいながらカトリーヌは続ける。 「でももうこの歳なので勇者様の奥様にはとてもとても」  若くない自分が勇者の妻になれてラッキーとカトリーヌは思うことはない。 「俺たちだってもう若くないんだし、ちょうどいいんじゃないかな」  確かに勇者たちもナイスミドルだ。それでもカトリーヌは世界に平和をもたらせてくれただけで嬉しいと慎ましくまつげを伏せ、この場を去ろうとした。 「ちょっとまってー」  一人の勇者が引き留める。年老いた勇者たちの中で、一人だけ長いローブをまとい杖をついた若い男だった。 「君、勇者?」「なんか俺たちと雰囲気違うね」「やけに若いな!」  騒めく中で若い男は「ごめん! カトリーヌ! 俺本当は当時、魔術師だったんだ!」と叫んだ。 「え?」  思わず足を止めてカトリーヌはその男をまじまじと見た。 「確かに勇者様とちがうかも」 「すまない。あのとき偽物の勇者パティーに入ってて、けんか別れしたところでさ。無一文になってついつい……」 「いいの。こうして会いに来てくれたんですもの」  勇者だとタダになる話を聞いて、むしゃくしゃしていた魔術師はカトリーヌによって癒された。そして地下奥深くに眠る魔獣をやっつけたのだ。 「で、今は俺、賢者なんだ!」  勇者たちは歓声を上げた。 「すごいじゃないか!」「たいしたもんだ」「いやいやカトリーヌのおかげだろう」「がんばったな!」  賢者になった男は懐から小瓶を出した。 「これ。魔獣がもっていたんだ」  回復薬だと思っていたが、飲んでみると若返りの効果もあった。そこで賢者は若返り、カトリーヌにも飲ませたいと持ってきたのだ。 「さあ、これを飲めばまた君は若さを取り戻して、この中の誰でも選べるだろう!」 「賢者様」  賢者はカトリーヌのあかぎれだらけの手のひらに小瓶を置く。カトリーヌは一度小瓶をぎゅっと握ったが、賢者に返す。 「これは勇者様たちに差し上げてください。勇者様たちは世界平和のために、すべてを犠牲になさったんですもの。それに誰かを選ぶなんてできません」  ざわざわしながら勇者たちと賢者は話し合う。しばらく話して結論が出たようで一番最初にやってきた勇者がえへんとせき払いをした。 「心優しいカトリーヌ。この若返りの薬はみんなで少しずつ飲むことにするよ。――そして君も飲んでほしい」 「え?」 「みんなで青春をとりかえそう。そのあとのことは、まだいいじゃないか」 「勇者様……」  薬をスプーンで一杯ずつ飲むと、出会ったころの若さに戻った。 「さあ、カトリーヌみんなで一緒に旅に出よう。まだ平和が訪れていないところがあるかもしれない」 「えっ」 「そうさ、君はかけがえのない人だよ」 「一緒に……」 「俺たちの冒険は始まったばっかりさ!」  若返ったカトリーヌと勇者たちと賢者は旅立った。カトリーヌはバラ色の頬と夢見る瞳を取り戻す。彼女はもう勇者に会いたいと待つだけの存在ではなくなった。 「お金以外にも信じられるものがあるのねえ……」  クロエは彼女たちの後姿を見ながらつぶやいた。そしてこの物語を新しくやってくる娼婦たちに語り継いでいった。
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