みずち

3/3
前へ
/60ページ
次へ
 数秒の沈黙ののちに、墨尾は重々しく唇を開き、その内情を何かを諦めたかのように吐露する。 「……私は、その戸口を出てすぐ、眼下に見下ろすことができる沼からやって来た」 「……沼?」 「左様。ヌシ、カミ、と呼ばれていた時代もある。水を泳ぐ蛇――蛟(みずち)と称される化外の者である」 「……墨尾さま、人じゃあねえんか」  墨尾はこくりと首肯し、視線を珠へと戻した。 「一月ほど前に、小さな蛇の世話をした覚えがあろう? あれが私だ」 「あの細え黒蛇が……?」 「ああ。お前の言うとおりだ、細く小さく……頼りない。力が衰えた私の『ヌシ』としての姿が、あれだ」 「そいで、蛇になって、墨尾さまは何をなされとったんじゃ」 「澱みの根源を辿ろうとした結果、この神事場へ辿り着き、匣と呼ばれていたお前にであった、珠」  逸らされた視線は、壁の向こうの沼地へと向けられている。墨尾が棲んでいたという、寂しく鬱蒼とした、生物の気配のしないあの沼を。  珠は理解に窮した。  あの沼を濁らせる、いや澱ませる原因がここにあるというのか。それとも、墨尾の目を澱ませたものを指すのか。
/60ページ

最初のコメントを投稿しよう!

31人が本棚に入れています
本棚に追加