お姫様は待ちぼうけ

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「雛、入るよ」  穏やかな声に顔を上げた。  病室に入ってきたのは母の結婚相手の男。私のお見舞いに来る人なんて、この男くらいのものだけど。  男はベッドのそばの椅子に腰掛けて、私の顔を覗き込んできた。 「今日はだいぶ調子が良さそうだね。怪我も良くなってきたみたいだ」 「はい、お医者様もそう仰っていました。私自身も体調は良いので、少し外に出たいなと」  にこっと笑って様子を伺う。  だが、返事は無情だった。 「ダメだよ、雛。あんなことがあったのに。もうすぐ退院できそうだけど、しばらくは自宅療養だね」  大きな手が伸びてきて頭を撫でてくる。そのまま私の髪に触れて、耳朶を通過して頬をくすぐって、胸元に伸びてきた。 「“お父さん”」  にっこり。  笑顔で呼びかけて、その手を握った。 「お仕事、忙しいんじゃないですか?お母さんも待ってると思います」 「……それもそうだね」  人の良さそうな笑みを浮かべて男が席を立つ。そして、また来るよと病室を後にした。  足音が遠ざかる。私はそれを笑顔で見送ってから、吐き捨てた。 「……気持ち悪い」  あの男は私を女として見ている。触られたのも一度や二度の話ではない。  母はまだ学生の時に私を産んで、恋人には逃げられた。仕方なく水商売をしながら私を一人で育てていたところに、あの男と出会ったのだ。  男はシングルマザーだった母と結婚し、私を娘として引き取った。自分を捨てた恋人を恨んでいた母は、彼を「王子様」だと繰り返し言った。  でも、私は知っている。  男は私が欲しかったのだ。  母の前では良い夫、良い父親のふりをしているけど、私と二人きりになると触ろうとした。私が男と接触することのないように、女子校に進学させたのもあの男だ。一人暮らしも許されない。  そして、母は男が私を女として見ていることに気づいている。  気づいて、嫉妬した。  母は私を愛してくれたけど、憎んでもいた。私ができたことで「母親」という役割に縛られたから。  そんな中で自分を見つけてくれた男は母の王子様だったから、娘であっても私は恋敵だった。  そんなの知らない。  私は母と二人きりの方がよかった。貧しくても、辛くても、私を娘として想ってくれていたから。  「女」にも「恋敵」にもなりたくなかった。優しく触られるのも、憎しみをもって殴られるのも嫌だった。  逃げたい。逃げられない。  誰か私をここから連れ出して。  毎日のように願っていた。母がまだ私を愛してくれていた頃、読み聞かせてくれた絵本。お姫様には必ず、素敵な王子様が現れて救ってくれた。 「雛はお姫様だから、いつか王子様が迎えに来てくれるわ」  絵本と一緒に聞かされた母の言葉。私にとっての魔法の呪文。  だから、お願い。  早く、早く早くはやく、私を見つけて。ここから連れ出して。  私の、私だけの王子様!
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